コロナ後の世界の書評 スティーブン・ピンカーにデータの重要性を学ぶ。


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コロナ後の世界
著者:スティーブン・ピンカー
出版社:文藝春秋

本書の要約

今回のコロナ禍の正体を見極めるために、自分の頭を使って、冷静に考える時間を持つべきです。データを検証すれば、極端に悲観的にならずにすみます。データで現在の状況を冷静に判断すれば、ウイズ・コロナの時代をどう生きるかも見えてきます。

基準的思考と指数関数的思考

知識と科学が人類の「ウェルビーイング(幸福)」における長足の進歩をもたらしました。進歩とは、自然の摂理ではないのです。(スティーブン・ピンカー)

ハーバード大学の心理学者のスティーブン・ピンカーは、長期的なデータを見れば、人類を取り巻く環境が良くなっていると指摘します。18世紀中ごろには29歳だった平均寿命は、今や71.4歳に延びています。食糧状態も、1960年代には一日一人当たり約2200キロカロリーだった摂取熱量が、現在では約2800キロカロリーになっています。また、世界総生産は200年でほぼ100倍と富も増えています。天然痘やペストのパンデミックにも打ち勝つなど、人類が幾多の危機を乗り越えてきたことを忘れてはいけません。

2020年にパンデミックを引き起こした新型コロナウイルスについて、まだまだ私たちが無知であることは間違いありません。このパンデミックがどれほど深刻な事態に発展するのか、現時点では誰も予測できていません。

ジョージ・メイソン大学のタイラー・コーエン教授は、「基準率的思考(Base-rate thinking)」と「指数関数的思考(Exponential thinking)」で整理します。「基準率的思考」はこれまでに起きたパンデミックの脅威に対して人類がどのように立ち向かったのか、歴史的な記録や成果を踏まえる考え方です。過去に生じた感染症の大流行は、隔離措置、薬、ワクチンなどによって、すべて乗り越えられました。

「指数関数的思考」に基づいて考えると、感染症は指数関数的に拡大してしまいますから、いかなる対策であっても限界があり、ウイルスに簡単に凌駕されてしまいます。コーエンは「基準率的思考」と「指数関数的思考」のどちらが正しいかについて、次のように述べています。

多くの場合は歴史的な考え方である「基準率的思考」が正しいけれども、この新型コロナウイルスのケースでは「指数関数的思考」の方が当たっていると思う。(タイラー・コーエン)

さまざまな国で感染拡大が起き、対応がなされていますが、今後のコロナウイルスの動きは予測できていません。1918年から流行して数千万人もの死者が出たとされるスペイン風邪の破壊的なレベルにまで達するのか、あるいは1950年代のポリオ流行程度の被害に抑えられるかはまだ解っていません。ピンカー教授は、最も楽観的な結果になったとしても、この新型コロナのパンデミックは歴史に深く刻み込まれ、私たちの諸制度やマインドセットに深い変化を引き起こすと述べています。

かつては船による航海で感染症が運ばれていましたが、現代は飛行機の移動によって伝播スピードが急速になり、私たちは感染症に対してきわめて脆弱になりました。その一方で、私たちはウイルスから身を守る術を身につけてきました。体に入ってきた異物を排除する免疫システムはもちろんですが、行動免疫というものもあります。私たちは嘔吐物や疾を見ると嫌悪感を覚えて、自然と避けようとします。これは進化の歴史で病原体を避けるための行動パターンを獲得してきたということです。さらに、科学技術の進歩によって感染症に対するレジリエンス(抵抗力、回復力)も私たちは獲得しました。

以前は恐怖に慄いているだけでしたが、現代人はテクノロジーによって、ウイルスへの対策を進化させています。公衆衛生面でのモニタリング状況や伝染病に関する新たな情報などを、瞬時に伝えられるグローバルな通信ネットワークが整備されていますし、感染のメカニズムを解明したり感染が拡大するスピードを遅らせるための疫学的な知識も蓄積されています。抗ウイルス薬やワクチンの開発といった医学技術も格段に発達し、今もコロナウイルスの研究が進んでいます。

しかし、未だに私たちはウイルスとの闘いに終止符を打てていません。「指数関数的思考」の観点にたつと、下手をすると新型コロナの猛威にあっという問に押しつぶされてしまいます。私たちはパンデミックを跳ね返す力を持っていますが、迅速かつ強力に感染症対策を実施できなければ、より多くの被害を出してしまうかもしれません。

コロナウイルスにおけるジャーナリズムの罪

新型コロナの世界的な蔓延によって、「世界はどんどん悪くなっている、未来は暗い」という認識が広がっています。また、冒頭にも紹介したように科学のおかげで、人類は様々な問題を解決しているのにも関わらず、科学は無力だと軽視する人が増えています。

人が理性や科学による進歩を正しく認識できない原因の一つは、ジャーナリズムの報道姿勢にあるとピンカー教授は指摘します。

ジャーナリズムは、どんな日でも、この惑星で起きている最悪のことを選んで報道します。77億人が暮らす地球のどこかでは常にひどいことが起きています。認知心理学では、人は危険が起きる確率を、客観的な統計やデータよりも、身近なイメージや、よく聞くストーリーに基づいて判断することが知られています。

これは「利用可能性バイアス」と呼ばれるバグで、簡単に言えば、「最近遭遇した類似例から判断してしまうバイアス」です。このバイアスは、しばしば誤った結論を導きます。医学を学び始めたアメリカの医学部一年生は発疹を見るとすぐ病院に通うべきだと思いますし、バカンスの観光客は、『ジョーズ』を見た後はサメを怖がり海に入りません。

ジャーナリズムは、このネガティブなバイアス日々作り出しています。毎日、銃撃やテロ攻撃、内戦、飢餓、病気の大流行についてのニュースを見ると、世界中がバイオレントになり、病気が流行し、貧困に向かい、危険に陥っていると考えてしまいます。新型コロナに関する報道もこれと同じです。どの国では何万人の死者が出たと毎日聞かされることで、人はコロナウイルスに悲観的になってしまうのです。

一方で、平和なことはニュースになりません。良いことは年に2、3%の割合で徐々に進み、10年、20年をかけて大きな進歩になりますが、その進歩は漸進的なので、新聞は報道しません。例えば、極度の貧困(一日1.9ドル未満で生活する人)は、この200年間で、世界人口の90%から10%にまで減少しています。しかしこういう良いことは報道されないため、人が極度の貧困から脱したという事実に、人は気づかないのです。

新型コロナに関しても同じです。新たな感染者や死亡者の数は毎日ひっきりなしに報道されますが、日々の回復者や退院者の数はほとんど報じられません。また、多くのジャーナリストは現状に満足することを防ぐために、ネガティブな内容を報道して、人々に行動を起こさせることが義務だと思っています。彼らにとってポジティブなニュースというのは、政府のプロパガンダや企業広告のようなもので、さもなければ、オランウータンが子猫と仲良くなったというような心温まる人情話でしかないのです。私は、この考えに反対です。ジャーナリストの責任は、世界の正確な状況を伝えることです。ある問題が解決しつつあること、ある災害が減っていることこそが、ポジティブなニュースなのです。

メディアは、ポジティブであれ、ネガティブであれ、最新の数字を載せるべきです。2018年10月と翌年3月、ボーイングの飛行機が墜落しました。その際、飛行機がどれだけ危険かという記事がたくさん掲載されました。しかし、これらの記事は飛行機の乗客が墜落事故で死亡する割合は過去45年で100分の1になり、飛行機がより安全になっていることを無視しています。

ニュースには、歴史的、そして統計的な視点に立った解説がもっと必要です。なぜなら、そうしたことを伝えないと、我々の努力は失敗の連続だったと思つようになり、一種の無力感や、宿命論、諦めに襲われます。諦めに陥った人は、過激派や「私が全て解決する」というカリスマ性のあるリーダーに誘惑される危険性があります。

悲観的にならずに、楽観的になろう!

残念ながら我々は、生まれながらに統計を理解できるわけではありません。例えば、健康で長生きする人が増えたというデータがあっても、自分自身が健康でいられるか分からないから不安だという人がいますが、それは論理的とは言えません。そうしたあいまいな不安感を解消するためにも、データと統計について学校で早めに教えるべきです。

意外に思うかもしれませんが、データを正しく理解できるかどうかは、知能の高さとは関連しません。市民が公共の場で銃を携帯することを規制するかと問われた事例を検証しましょう。犯罪率が銃規制によって「低下」したことを示すデータが示されたとき、銃規制を行うべきだと考える、リベラルで計算に強い人は、データを正しく読み解きました。しかし、銃規制を行うべきでないと主張する保守派の人は、計算に強い人であっても、銃規制が犯罪率の低下に効果があったという正しい答えを導けませんでした。計算に強い人でも、銃規制に賛成か反対かという、自分の政治的信条に基づいた解答をしてしまいます。知能が高くても偏見があると間違った結論を出してしまうのです。

また、あるリスクを現実的な脅威として実感させるには、統計やデータよりもシリアスで具体的なケースのほうが有効であることが解っています。たとえば新型コロナウイルスの危険性を伝えるには、死亡者数や致死率などのデータを並べるよりも、たった一人の有名人が感染することのほうが効果的です。

イギリスのポリス・ジョンソン首相が一時、集中治療室に入ったと報じられましたが、これで新型コロナウイルスの危険性を実感した人が増えたはずです。日本でもタレントやスポーツ選手が感染することで、コロナウイルスが身近になりました。私たちの認知能力はバイアスの影響をすぐに受けます。そうした限界を克服するために、データを理解する必要があるのです。調査や分析によって得られるデータから考え、自分自身の考えだけを信頼しないよう、常に心に留めておくべきです。

実は、公衆衛生の専門家たちは、何年も前からパンデミックに警告を発していました。あのビル・ゲイツも警鐘を鳴らし続けていました。彼らはモニタリング態勢を強化して、新たな感染症への対応や検査が迅速に実行できるようにすべきであり、十分な防護服の準備やワクチン開発に取り組むべきだと指摘していました。しかし、各国の政府は提案を無視し、わかりやすいテロ対策にばかりお金を投じました。

ここにも認知バイアスがあります。テロへの対応と比較してみれば一目瞭然です。9・11のアメリカ同時多発テロ事件以降、空港のセキュリティが厳格になり、IDなしには飛行機に搭乗できなくなりました。ところが、感染症は私たちの目には見えず、徐々に拡がって、気づいたときには指数関数的に感染が拡大したのです。今後は人類に悪影響を及ぼす可能性がある専門家の指摘を真剣に捉え、感染症対策を実施すべきです。

幸福感は豊かさだけで決まるものではありません。豊かさはもちろん重要ですが、幸福感を決める要素は他にもあります。民主主義の中で自由に生き、自らの未来を選択できること、そして、頼れる家族や友人がいるという社会的つながり、社会的信用があるかなどです。他人を信用できず、搾取されるような社会的信用性が低い国は、幸福度も低い傾向があります。

パンデミックというグローバルな危機から、人類はどのようにして回復できるのか、不安になるのは当たり前です。しかし、私たちは今回のコロナ禍を体験することで、科学、公衆衛生、適切なガバナンスを強化しています。家族や仲間とのつながりを見直す機会を得て、本当の幸福は何かを考えるようになりました。

ピンカー教授は極度に悲観的にならず、楽観主義になるべきだと言います。私たちは数々の危機を乗り越え、進歩してきたのですから、今回のパンデミックも乗り越えられるはずです。

私たちは過度にメディアの情報に流されないようにして、データを活用し、自分の頭で考えるべきです。過去と現在を比べ、データで現在の状況を冷静に判断しましょう。今の日本の報道や政府のメッセージを鵜呑みにせず、ウイズ・コロナの時代にどう行動するかを考えるべきです。現在の日本の重症化率を見れば、悲観的にならない方がよさそうです。

この記事を書いた人
徳本

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

■インバウンド、海外進出のEwilジャパン取締役COO
みらいチャレンジ ファウンダー
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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