三流のすすめ
安田登
ミシマ社
本書の要約
三流とは「いろいろなことができる人」だと著者は定義します。三流の人は螺旋的に生き、さまざまな知識や体験を蓄積していきます。三流の人の人生はぐるぐる、ぐるぐるまわっていって、
多くの人が三流を目指した方がよい理由
三流の本来の意味は「いろいろなことをする人」です。 試験勉強を始めると別の本を読みたくなる。
なにかをやっていても目移りをして、 すぐほかのことに手を出してしまう。そんな人は、 一つのことに満足できずに、いろいろなことに手を出します。 いろいろなことに手を出すから、 一つのことがなかなかものにならない。むろん、 その道のトップになどはなれはしないし、 世の中に認められて有名にもなれない。大金持ちにもなれません。 でも、それがいいのです。(安田登)
著者の安田登氏は三流を「いろいろなことができる人」と定義します。子供の頃から飽きっぽい安田氏は、さまざまなことに手を染め、積極的に行動していきます。結果、いくつもの分野の知識を手に入れ、何十冊の本を書いています。
劉劭によって書かれた『人物志』では、一流とは「一つのことの専門家」、二流とは「
本書では孔子や范蠡が紹介されていますが、彼らは三流の人でさまざまな知識があったからこそ、世の中に貢献できたのです。
三流の人には以下の共通点があるといいます。
・一つに決めない
・目標を持たない
・天才ではない
・ほとんどガマンしない
・評価されない
一つのことを目指すこと、一芸に秀でることも大切ですが、複数のことを同時に行うこと(三流の生き方)がもっと評価されてもよいと思います。自分の好きなことが見つかったら、自分の感性に従い、それにチャレンジするのもありだと思います。
螺旋的な生き方が人生を面白くする!
日本社会は一流志向です。
ほとんどの人が一流のほうを向いて生きています。むろん、 その方向が向いている人はそれで問題ありません。しかし、 そちらの方向では生きづらい人、 すなわち三流の人も無理やり一流の方向に歩むことが求められてい ます。本来は行くべきではない方向に歩いている。これは、 後ろ髪を引っ張られながら進んでいるようなものです。 ブレーキをかけながら自転車をこいでいるようなものです。 一生懸命にはやっています。しかし、全然進まないし、 なんといっても楽しくない。
人生100年時代、年齢とともにやりたいことが変わります。その時々に好奇心に基づき、行動することで、人生はより楽しいものになります。三流を目指すうちに、異なる才能を持つ人と出会えるようになり、自分の可能性を広げられます。
三流人の生き方は「
新たなことにチャレンジすることで、人は学び続けられます。私も広告会社を辞め、社外取締役やアドバイザリーになり、いくつもの会社の経営に参画することで、さまざまな刺激を受けています。新たな知識や体験、人との出会いが人生を面白くしています。何社もの経営会議に参加することで、マーケティングだけでなく、パーパス経営や組織や人材開発についての知識を得られました。スキルを積み上げることが、次の新たな仕事に繋がっていき、結果、未来をワクワクなものに変えられます。
マルチ・ポテンシャライト さまざまなことに興味を持ち、多くのことをクリエイティブに探究する人。面白いことを学ぶのはそれ自体が楽しいし、そこで得た多くのスキルにさまざまな状況で助けられてきたからだ。(エミリー・ワプニック)
本書を読了後、エミリー・ワプニックのマルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法を再読しています。
マルチ・ポテンシャライトはいくつかの分野を融合させ、それが交わる場所で活動しています。三流の人はマルチ・ポテンシャライトと同義で、複雑になった現代には、多様な知識で課題を解決できる人が活躍できる場も増えています。一つの分野で一流になる人生だけでなく、三流を目指すのもありだと思います。それぞれの人生を楽しみましょう。
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