こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~
養老孟司
扶桑社
こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~ (養老孟司)の要約
人生の終わりには、物質的な財産よりも、これら自身に身につけた財産が真の価値を持ちます。 したがって、真の財産とは、自分自身に身につけた知識、技術、経験などの内面的な豊かさであり、人生の最も重要な要素と言えます。これらは、人生の終わりまで持ち続けることができる、唯一無二の貴重な宝物なのです。
都市型の発想だけではうまいかない理由
都市は実質的にはモノを生み出しません。田畑があるわけではないし、石油が掘れるわけでもないし、樹木がたくさん育つこともありません。(養老孟司)
都市は主に政治や金融や人と人の関係が栄える場所ですが、自然の恩恵は田舎に任せられていると養老孟司氏は指摘します。 鴨長明も『方丈記』の中で、「都のものはすべて田舎を源にするものにて」と述べています。つまり、都市が豊かであるためには、田舎からの供給に頼らざるを得ないということです。
都市は自然からの収奪を通じて、本当の豊かさを手に入れることができるのです。それ以外の方法では、ゼロサム・ゲームになってしまいます。 田舎は自然の恵みに満ちています。農業が盛んであり、田畑からは作物が育ちます。また、田舎の景観には美しさがあります。
農家の家屋や水辺、里山といった要素が一体となって、四季折々の風景を形成しています。その美しい景観は、澄んだ空気や豊かな自然と共に、人々に癒しと安らぎを与えてくれます。
一方、都市は人々の生活を支える基盤として重要な役割を果たしています。政治や金融の中心地として、経済の発展や社会の安定に貢献しています。都市には多様な文化や産業が集まり、人々の生活を豊かにする機会を提供しています。しかし、都市の繁栄は田舎の恩恵に依存していることを忘れてはなりません。
過去20年以上にわたり、我が国のGDP減少や人口減少、国力の低下が懸念されていますが、これらは結果であり原因ではありません。直接の原因は自然資源が限界に達したことだというのが、著者の考えになります。その根本的な原因は、人間の意識の変化にあるのです。
町になっていったということはどういうことかというと、人間が自分の考えたものの中、脳みその中に住むということなんです。
具体的には、都市化が進行し、物理的な生産よりも精神的な価値が重視されるようになったことが一因です。都市は物理的な生産を行わず、孤立した存在では成り立ちません。
都市と田舎は相互に補完し合う存在です。都市は自然からの収奪を通じて発展し、田舎はその供給源として存在します。両者が連携し、持続可能な社会を築くことが重要です。都市と田舎の関係を理解し、そのバランスを保つことは、私たちの未来のためにも不可欠な課題です。都市型の発想だけでは、人は生きていけないのです。
都市の代わりにバーチャルリアリティで働いたり遊び、生活は田舎でするのが、意外に正しい選択なのではないかと著者は述べています。脳は身体の一部であり、その活動は身体的な経験にも依存しています。
それならば、コンピュータの中に思うようになる世界をつくって、思うようにしたいというのはそういうところで解消していただく。しかし、実際にはたいへん不自由なところで日常生活をしていただく。これは案外健康ではないかと思います。
仮想世界での活動だけでなく、現実世界での体験も重要です。著者は、都市での生活をバーチャルリアリティで補い、田舎での実際の生活を通じて現実世界とのつながりを保つとよいと言います。このように、現実とバーチャルの両方の世界を経験することで、精神的・身体的な健康が送れるようになります。
本当の財産とは何か?
ヒトにはどれだけのものが必要か。それを考えたら、すぐにわかるんじゃないでしょうか。大したものは要りません。昔の人は起きて半畳、寝て一畳なんて言ってました。これは居住空間の話ですが、万事に通じますね。べつに貧乏暮らしを勧めるわけではありません。テキトーでいいだろうと言っているのです。国でも会社でも都市でも、巨大なものにヒトはだまされる。
私たちは必要以上のものに執着しすぎているのかもしれません。贅沢な生活や豪華な物質は、幸せや満足感をもたらすとは限りません。むしろ、シンプルで控えめな生活こそが、私たちの心を満たしてくれるのかもしれません。 もちろん、貧乏暮らしを勧めるわけではありません。ただ、必要以上のものに固執する必要もないのです。
テキトーでいいだろうと言っているのです。自分に本当に必要なものを見極め、無駄なものを排除することが大切です。 また、国や会社、都市などの巨大な組織やシステムには注意が必要です。これらの大きな存在は、私たちをだまし、自分の意思や本当に必要なものを見失わせることがあります。自分自身の価値観や欲求を見極め、巨大なものに騙されないようにすることが重要です。
養老孟司氏は、「ヒトはだまされる」と言っていますが、それは私たちが自分自身を見失い、本当に大切なものを見逃してしまうことを意味しています。自分自身と向き合い、本当に必要なものを見極めることで、より豊かな人生を送ることができるのではないでしょうか。
要するに、「身に付いたものが財産である」ということです。
人生において、私たちはしばしばお金や物質的な財産を追求しますが、これらは最終的には持ち続けることができない一時的なものです。本当に価値のある財産とは、私たちが一生を通じて身につける知識、技術、経験です。これらは学校や職場で得た学びや、人生の様々な経験を通じて蓄積され、個人の成長と内面の豊かさを築きます。
物質的な財産は他人にも分け与えることができる一方で、知識や技術、経験は他人から奪われることのない、個人固有の財産です。
人生の終わりには、物質的な財産よりも、これら自身に身につけた財産が真の価値を持ちます。 したがって、真の財産とは、自分自身に身につけた知識、技術、経験などの内面的な豊かさであり、人生の最も重要な要素と言えます。これらは、人生の終わりまで持ち続けることができる、唯一無二の貴重な宝物なのです。
必要なものは実は少なく、シンプルな生活こそが私たちの本当の幸せの源なのかもしれません。大したものは要りません。自分自身を見つめ直し、本当に必要なものを見極めることで、より充実した人生を送ることができるのです。
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