体内時計の科学:生命をつかさどるリズムの正体
ラッセル・フォスター
青土社

体内時計の科学:生命をつかさどるリズムの正体(ラッセル・フォスター)の要約
概日リズムとは、地球の自転に合わせて生命が進化させた「時間の言語」であり、睡眠や代謝、免疫を調整する生体の根幹です。脳の視交叉上核(SCN)が全身の臓器を指揮し、リズムを同期させています。このリズムが乱れるとSCRDが生じ、肥満や糖尿病、免疫低下、うつなどを引き起こします。健康を保つ鍵は、朝の光を浴び、適切な運動・食事の時間を整え、腸内細菌と調和すること。健康とは努力でなく、時間との調和の結果なのです。
概日リズムの重要な役割
生体リズムや睡眠は、忠実な友ではなく、格闘し支配し負かすべき敵として扱われることがままある。そうではなく、私たちは生体リズムを理解し擁護する必要があるのだ。(ラッセル・フォスター)
「概日リズム」とは何なのでしょうか。それは、生命が地球の自転に適応するために獲得した「時間の言語」です。地球が24時間の周期で昼と夜を繰り返すように、私たちの体内でも同じリズムが刻まれています。
この体内時計は、光と闇の変化に反応し、睡眠、ホルモン分泌、体温、免疫、代謝、感情のすべてを調整しています。私たちはしばしば「時間に追われている」と感じますが、実際はその逆で、「時間に導かれて生きている」のです。
この生体リズムの分子メカニズムを明らかにしたのが、2017年のノーベル生理学・医学賞を受賞したアメリカの3人の科学者――ジェフリー・C・ホール、マイケル・ロスバッシュ、マイケル・W・ヤングでした。彼らの発見は、生物の体内時計がどのようにして24時間の周期を作り出すのかを、遺伝子レベルで説明した点で画期的でした。
彼らは「パー(PER)遺伝子」を発見し、その遺伝子が作るPERタンパク質が夜間に蓄積し、昼間に分解されるというリズムを確認しました。そしてPERタンパク質自身がPER遺伝子の働きを抑制するという、転写–翻訳フィードバックループ(TTFL)モデルを提示しました。この自己抑制の時計が、私たちの体に「一日」というリズムを刻んでいるのです。
さらに、ヤングは「タイムレス遺伝子」 や「ダブルタイム遺伝子」を発見し、タンパク質のリン酸化や分解、細胞核への移動など、リズムを24時間に近づける調整メカニズムを明らかにしました。
これによって、生物が「なぜ夜に眠り、昼に活動するのか」という問いが、ついに遺伝子からタンパク質、そして分子レベルの制御構造によって説明できるようになったのです。つまり、時間の感覚は脳だけで感じるものではなく、細胞そのものに刻まれた遺伝子の記憶でもあるということです。
ラッセル・フォスターの体内時計の科学:生命をつかさどるリズムの正体は、この「時間の生物学」が人間の健康や行動にどれほど深く関わっているかを、科学的な根拠とともにわかりやすく示した画期的な一冊です。
フォスター教授は、オックスフォード大学で長年にわたり概日リズムを研究してきた世界的な専門家です。彼が明らかにするのは、私たちの体が外の時間と見事に同調しながら動いているという驚くべき事実です。脳の中心部、視交叉上核(SCN)と呼ばれる部位には「主時計(マスタークロック)」があり、太陽光を通じて外部世界の昼夜のリズムを認識します。この主時計が体内のすべての臓器や細胞にシグナルを送り、体全体の活動を調整しているのです。
とはいえ、このマスタークロックが体内時計のすべてを「作り出している」わけではありません。むしろ、SCNは全身に備わる無数の概日時計を直接動かす装置ではなく、それらを調整するペースメーカーとして機能しています。
たとえるなら、SCNはオーケストラの指揮者のような存在です。肝臓や筋肉、膵臓、脂肪組織など、体のあらゆる部位にはそれぞれ独自の「末梢時計(ペリフェラルクロック)」が備わっており、それぞれが自分のパートを演奏しています。SCNはその全体のテンポを保ち、各臓器がばらばらに動くのではなく、協調的に働くようタイミングの合図を送っているのです。
この指揮者がいることで、朝には消化器系が目覚め、午前中には認知機能が最大化し、午後遅くには筋肉のパフォーマンスがピークを迎えるといった、一日の流れが生み出されます。もしこの指揮者であるSCNが存在しなければ、全身のリズムはバラバラになり、オーケストラはシンフォニーではなく、不協和音のような混乱を奏でることになるでしょう。
そうなれば、代謝や免疫、ホルモン分泌、思考や感情といったあらゆるプロセスが適切なタイミングで働かなくなり、健康のバランスは崩壊してしまうのです。
こうしたシステムは、単なる睡眠制御装置ではありません。朝になると消化器系が目覚め、食事の準備を整え、午前には認知力が高まり、午後遅くになると筋肉のパフォーマンスが最大化します。
健康に悪影響を及ぼすSCRD
概日リズムは私たちの生体機能や行動を、24時間を通じて課されてくるさまざまな要求に合わせて微調整する。睡眠はこのプロセスの一端であり、私たちの生体機能を再調整したり強化したりすることで、日中に最適な活動を行なえるようにする。これら2つの相互に関連し合うバランスの取れたシステムは、私たちの多くの能力を規定しており、よってこの「根本的な生体機能」に反する行動を取れば、健康のあらゆる側面が危殆に瀕する結果になる。
体内時計は、私たちの一日のテンポを精密に制御しています。その中心にあるのが「コルチゾール」というストレスホルモンのリズムです。コルチゾールは朝に高まり、体を目覚めさせる生体のカフェインのような役割を果たし、夜に向けて低下することで心身を休息へと導きます。代謝、免疫、集中力――そのどれもが、このリズムの上に成り立っているのです。
しかし、現代社会はこの精緻なリズムを乱します。短期的なストレスならコルチゾールの一時的な上昇は適応反応として有効ですが、ストレスが慢性化すると話は変わります。コルチゾールの分泌が常に高止まりし、体内時計の制御が崩壊します。身体は昼夜の区別を失い、常に緊張状態――「休めない身体」になってしまうのです。
過剰なコルチゾールは代謝にも悪影響を及ぼします。インスリンの働きを妨げ、血中のブドウ糖を処理できなくし、余ったエネルギーが脂肪として蓄積されていきます。特に腹部の内臓脂肪として溜まりやすく、いわゆるストレス太りを引き起こします。
また、コルチゾールは食欲ホルモンのバランスも崩します。満腹を伝えるレプチンが減少し、空腹を知らせるグレリンが増加する。つまり、「お腹がいっぱいでも食べたくなる」「夜中に甘いものが無性に欲しくなる」という現象が起きるのです。これは意志の問題ではなく、ホルモンが導く生理的反応なのです。
さらに、コルチゾールの慢性的な上昇は免疫機能を抑制し、感染症、アレルギー、自己免疫疾患、さらにはがんのリスクを高めます。身体の「守る力」が削がれていくのです。
そしてその影響は脳にも及び、記憶を司る海馬を萎縮させ、認知機能を低下させます。年齢を重ねて交代勤務がつらくなるのは、ストレスホルモンと体内時計の不調和によって脳の回復力が失われていくためです。
フォスター教授は、この状態を「SCRD(睡眠・概日リズム障害)」と呼びます。昼夜のリズムが壊れ、コルチゾールが上がりっぱなしになれば、心も身体も常に戦闘モードです。夜に休めず、不要な時間に食べ、眠っても疲れが取れない。やがて「時間を失った身体」になってしまいます。
SCRDがもたらす健康リスクは想像以上に広範です。 概日リズムが免疫系にも影響するため、ウイルスや病原体は私たちの体内時計を利用します。インフルエンザウイルスは宿主の概日リズムを狂わせて自らの増殖を促進し、夜勤労働者では新型コロナウイルスへの感染率と重症化率が高いことも報告されています。つまり、リズムを乱すことは、免疫を乱すことと同義なのです。
この概日リズムは、食事や消化、代謝ホルモンの分泌にも深く関与しています。日中は唾液の分泌が活発で、咀嚼や嚥下を助けます。胃腸も昼間の消化に適しており、胃の内容物が空になる速度は朝の方が速くなります。逆に夜間は消化機能が低下し、夜遅くの食事は胃酸過多や逆流性食道炎を引き起こし、睡眠の質を下げます。特に午後4〜5時に胃酸分泌がピークになることから、この時間帯に潰瘍の発作が起きやすいこともわかっています。
夜勤労働者や睡眠不足の人では、このリズムの崩壊がメタボリックシンドロームの発症と強く関連しています。夜勤期間が長いほど2型糖尿病のリスクが高まるという研究結果もあります。これは夜間にブドウ糖代謝が低下し、ストレス軸が常に活性化してしまうためです。
睡眠不足が続くと、レプチンは減少し、グレリンが増加します。その結果、食欲が上昇し、とくに高炭水化物食品を求める傾向が強まります。実験では、二晩の睡眠制限でレプチンが18%減少、グレリンが24%上昇し、食欲は20%以上高まったというデータもあります。 このようなホルモンの変化は、いわゆる「マンチーズ現象(無性にスナックを食べたくなる)」を引き起こします。
さらに、肥満が進むとレプチンが常に高い状態となり、脳がその信号に鈍感になるレプチン抵抗性が生じます。満腹のはずなのに食欲が抑えられず、空腹時間が長く感じられる。これが、肥満の悪循環を生む仕組みです。 欧米では、1日の摂取カロリーの約15%を砂糖から得ているといわれます。甘味飲料やシリアル、パン、ソースに含まれる精製糖が、知らず知らずのうちに代謝を狂わせています。
世界保健機関(WHO)は、精製糖を総摂取カロリーの10%未満に抑えるよう推奨していますが、現実には多くの人がその倍近い糖分を摂取しています。過剰な糖は肝臓で脂肪に変換され、脂肪性肝疾患や糖尿病、心疾患のリスクを高めます。 さ
らに、減量しようとダイエットを始めると、身体は「飢餓」と誤認し、逆に脂肪をため込もうとします。体脂肪が減るとレプチン分泌が減少し、グレリンが増加。食後でも空腹感が消えず、代謝も落ちてしまう。甲状腺ホルモン(サイロキシン)も減少し、睡眠中のカロリー消費も低下します。結果として、痩せようとするほど代謝が落ち、空腹感が強まり、体脂肪を維持しようとする“防衛反応”が働くのです。
このように、SCRDは単なる「眠れない」問題ではなく、代謝、免疫、思考、感情すべてを狂わせる全身疾患といえます。
SCRDをリセットする──眠りを味方につける科学的リカバリー
概日システムを考慮に入れることは、4つの重要な側面で代謝の健康の維持に役立つ。4つの側面とは、「日々の活動の役割と運動のタイミング」「SCRDの予防」「適切な食事時間」「腸内細菌の概日リズムとの連携」である。
















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