富士フイルムは化学分野の専門知識を新規市場に活かそうと努力し始めたのに対し、コダックはあくまでも本業である写真事業の研究開発を収益化しようと、知的所有権の保護に向けて法務キャンペーンを積極的に展開した。(チャールズ・A.オライリー、 マイケル・L. タッシュマン)
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イノベーションを起こす両利きの経営とは何か?
スタンフォード大学のチャールズ・A.オライリー、 ハーバード大学のマイケル・L. タッシュマンの両利きの経営は、学ぶべきことが多い一冊です。特に大企業の経営者やリーダーにはオススメの一冊です。本書の経営術をマスターすることで、イノベーティブなベンチャー企業との戦いに勝利でき、成長を続けられるはずです。そして、リーダーがどのように振舞えばよいかのアドバイスを両教授から受けられます。
世界最大手の写真用品メーカーだったコダックが2012年に倒産した際に、私は変化の重要性を認識しました。コダックほどの大企業でも、変化を選択しなければ破綻を余儀なくされる時代が到来したのです。技術革新や破壊的イノベーションに対応できずに衰退、倒産に至った大企業は少なくありませんが、かたや富士フイルムのように新規事業や多角化に成功した大手企業もあります。その違いを著者の2人は「両利き」という言葉で表現しました。
「両利き(ambidexterity)」とは、探索(exploration)と知の深化(exploitation)を同時にバランスよく行うことです。知の探索とは、自身・自社の既存の認知の範囲を超えて、遠くに認知を広げていこうとする行為を指します。知の深化とは、自身・自社の持つ一定分野の知を継続して深掘りし、磨き込んでいく行為を言います。
特に環境変化が起きたり、新しい試みをしようとするときには、狭い範囲の考え方から抜け出す必要があるのです。その際、探索という行為によって、認知の範囲が広がり、新しいアイデアが生まれ来ます。いくつものアイデアの中から成功しそうなことを見極め、深掘りする深化によって、質の高い製品やサービスを生み出せます。
この知の深化と探索を同時に行えている企業ほど、イノベーションが起き、パフォーマンスが高くなる傾向があることが多くの研究結果から明らかになっています。大企業の経営者はこの「両利きの経営」を行うことで、成長を持続できるようになるのです。
インターネットの普及やAWSのおかげで、新規参入のハードルは驚くほど下がっています。ベンチャー企業は虎視眈々と大企業のマーケットを狙っています。彼らは短期間でプロダクトを生み出し、獲得したファンを活用しながらいつの間にかシェアをアップしています。Uberはあっという間にタクシー業界を駆逐し、エアーB&Bはホテル業界の風雲児になったのです。変化の流れを逃したり、破壊的イノベーションへの対応を間違えると、大企業といえども生き残れなくなっています。
大企業の経営者やリーダーは、成熟事業で成功する組織をつくると同時に、新興事業でもベンチャーと競争しなければなりません。そして2つの領域ではやることが異なるため、組織づくりが重要になります。
■成熟事業の成功要因・・・漸進型の改善、顧客への細心の注意、厳密な実行
■新興事業の成功要因・・・スピード、柔軟性、ミスへの耐性
この異なる2つの成功要因を実施できる組織能力が、「両利きの経営」といわれるものなのです。
コダックは自社の中核となる強みは、技術的な専門知識ではなく、ブランドとマーケティングにあると考えました。一方の富士フィルムは自社の強みを技術力だと捉え、以下の3つの主要技術にフォーカスしました。
1、液晶ディスプレイや半導体用の機能材料
2、界面化学の専門知識を使った医薬品
3、コラーゲンや抗酸化技術の専門知識に基づくアンチエイジング・クリームを使った化粧品
富士フィルムは自社の強みを見つけ、それを活かすことで、まったく新しい事業領域を生み出すことに成功しました。現在同社は、年商230億ドルの企業となっており、過去15年の年間成長率は10%を超えています。
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負け組のUSAトゥデイが勝ち残った理由は何か?
いかに新聞ではなく、ネットワークになれるか?(トム・カーリー)
1990年代後半に、USAトゥデイは事業としては好調でしたが、不確実な未来に直面していました。USAトゥデイはガネット社の一部門であり、1982年に全国紙を発行し始めました。そして1990年代後半には全米で最も広く読まれる日刊紙となり、ファストフードのマクドナルドになぞらえ、「マックペーパー」と呼ばれていました。
しかし、若者の読者離れが現実問題になった1990年代後半には、新聞購読者数が着実に減り始めました。テレビやインターネット・メディアでニュースを見る機会が増え、競争は激化すると同時に新聞の印刷コストが急騰したのです。
社長のトム・カーリーは力強い成長と利益を維持するには、自社が伝統的な新聞事業を超えて手を広げるしかなないと考え、イノベーションを起こすことにしました。カーリーは新たに「ネットワーク戦略」を打ち出し新聞、テレビ、オンラインで配信するコンテンツ制作にフォーカスしました。社内では反対の声が起こりましたが、カーリーは信念を負けずに改革を続けます。
カーリーは1995年にオンラインニュース・サービス、USAトゥデイ・ドットコムを立ち上げるために、ロレイン・シチョースキーを抜擢します。カーリーはロレインに新聞紙事業とは独立して自由にオペレーションを行う権限を与えました。彼女は根本的に新聞とは異なる組織をつくり、リアルタイムにニュースを配信しました。インターネット事業が軌道に乗ったように見えました。
しかし、USAトゥデイ・ドットコムはその後の10年、伸び悩みました。問題はこの新ユニットが新聞事業のオペレーションと隔離しすぎて、新聞社の巨大な資源を活かしきれていないことにあったのです。 新聞部門からの応援が受けられず、ドットコム事業は新聞社の競合とみなされていたのです。利用可能な資本の大部分は新聞で消費され続けていたため、USAトゥデイ・ドットコムはすぐに資金難に陥り、優秀なスタッフが職場から離れて行ったのです。
そこでカーリーは、ネットワーク戦略で勝負に出ました。1日1回発行する紙媒体の新聞、USAトゥデイ・ドットコム経由で常時更新するオンラインニュース、テレビという3つのプラットフォームでニュース記事と画像を共有することにしたのです。
この戦略をやりきるためには、新聞記者とテレビのニュースキャスターの融合が欠かせませんでした。テレビ放送やオンラインニュースでイノベーションも追求できる組織をつくらなければならないことを、カーリーは承知していました。
そこで2000年に、USAトゥデイ・ドットコムのリーダーをジェフ・ウェバーに交代し、ネットワーク戦略を強化します。ウェバーは社内でネットワーク戦略を強く支持してきた幹部の一人で、新聞部門内にも良い人脈を持っていました。 カーリーは外部からディック・ムーアも引き入れ、テレビオペレーションのUSAトゥデイ・ダイレクトをつくりました。オンライン、テレビ、新聞で組織を分けたまま、3事業の上級リーダー・チームに一枚岩になることを求めました。
事業間の統一を図るために、公正さ、正確さ、信頼性というUSAトゥデイの価値観を補強し、たとえユニットごとに文化の違いがあったとしても、プラットフォーム全体で確実に同じ価値観を持てるようにしました。 オンライン部門とテレビ部門の責任者は編集会議を毎日開き、大きな視点で統一感を持たせるとともに、具体的なニュースでも細部の統一が図られました。記者たちはTVとの融合によて、記事がより広い層にリーチすることに気づきました。カーリーは人事政策でも積極策をとります。異なるメディアユニット間での異動を奨励し、昇進・報酬決定の際にはコンテンツの共有に積極的だったかどうかが考慮されることになったのです。
こうした変革により、USAトゥデイは両利きの組織となり、力を発揮しました。事業別ユニットは3つにわかれていましたが、力のある経営陣が各事業ライン全体を監督し、要所については統一が図られました。ブランドやコンテンツ制作の組織能力を活かして、成熟した日刊紙事業で果敢に競争しながら、強いインターネット・フランチャイズ事業を発展させ、ガネット社傘下のテレビ局に速報ニュースを提供することができるようになったのです。この10年でオンラインニュースの重要性が高まり、オンラインや新聞のニュース編集室は統合されました。
USAトゥデイのアプローチは、なぜうまくいったのでしょうか。以下その理由をピックアップします。
1、カーリーが戦略的意図(「新聞ではなく、ネットワークになる」)をはっきりと打ち出し、探索ユニットと深化ユニットがいずれも同じ組織の一員として協力し合うべき、正当な理由を示した。
2、組織全体に適用される共通の価値観(公正さ、正確さ、信頼性)という形で、共通のアイデンティティを与えてた。
3、最終的に配下の上級幹部チームが足並みを揃え、新戦略に 尽力するよう徹底させ、熱心でない人は参加意識の高い人と交代させた。
4、探索と深化の両部門を構造的に分離させつつ、重要な接点のマネジメント(日次の編集会議)と運命共同体としての報酬制度を通じて、しっかりと統合が図られた。
5、カーリーとそのチームは、新組織を推進する勇気を持っていた。紙媒体の資源を転用して、新しいウェブプロジエクトに資金を回すといった意思決定は物議を醸したが、諸々の反対意見に屈しませんでした。
新聞業界は変わり続け、広告収入は今もなお急速 に減少しています。しかし、カーリーの英断がなければ、もっと悲惨な結果になっていたはずです。新聞の前に広がる未来は不確実ですが、何もしなければ、新興メディアの餌食になるだけです。USAトゥデイの変革から大企業は多くのことを学べます。
大企業発のベンチャーも両利き経営で成功できる?
次にエレメンタムのケーススタディから両利きの経営を見てみましょう。シリアルアントレプレナーのネーダー・ミハイルは大企業内のベンチャーとして、エレメンタムを立ち上げました。このエレメンタムは、シンガポールを本拠とする年商300億ドル、従業員数22万5000人のフレクストロニクスが手掛けた起業家的な新規事業です。フレクストロニクスの本業は電子機器の受託生産であり、医療機器、自動車、防衛、電気通信、コンピュータ、ゲームセンター、消費財などを顧客に持ちます。
エレメンタムはサプライチェーンを管理し、アップル、LG、シスコ、HP、マイクロソフト、フォードの製品をつくっています。低利益率で競争の激しい事業なので、絶えず漸進型の改善をして、効率性を高めることが成功の鍵になるのです。エレメンタムは低コストと短納期を実現させることで、競合と差別化を図っています。
フレクストロニクスはグローバル500に入るEMS企業であり、ナスダックにも上場している優良企業です。同社はデザイン、製造、物流、アフターサービスを相手先ブランドで提供するサプライチェーン・プラットフォーマーです。30ヵ国に120以上の工場を持ち、3万のサプライヤーと取引しています。CEOのマイク・マクナマラは過去にフォードやインテルで働いたことがあり、フレクストロニクスでは20年にわたってオペレーションやサプライチチェーンの管理にあたってきましたが、彼がCEOに就任した当時、フレクストロニクスの売上はわずか1億ドルでした。これが今や300億ドル以上になっているのです。
マクナマラが他の多くのCEOと違うのは、卓越したオペレーションだけでなく、未来に対する懸念についても口にすることです。彼はサプライチェーンの各構成要素(製造、物流、アフターサービスなど)は縦割りで管理され、サプライチエーン全体が隅々までわかるような情報が得られないことに彼は気づきました。その結果、きわめて重要でかつ複雑なサプライチェーンを持つ企業の場合、オペレーション全体の状況がどうなっているか、世界的なチェーンの一部が利用不能になったときのリスクなどを総合的に見通せません。
たとえば、マレーシアの製造工場は大きなシステムの小さなパーツにすぎませんが、そこで火災が起きれば、販売チャネル全体が立ち行かなくなるおそれがあるのです。全体がつながっていないので、ユーザーは通常、異なるERPシステムから出したスプレッドシートを組み合わせて、縦割りの機能を取りまとめようとします。
フレクストロニクスはまず、社内のITグループを中心にこの状況の是正に乗り出しました。ところが、何千万ドルも費やしたにもかかわらず、包括的な解決策は全く出てきませんでした。現状に不満を募らせていたマクナマラは、ついに直属の部下である取締役(全10人)の中から、イノベーティブ・ソリューションの責任者だったネーダー・ミハイルを抜擢します。そして、サプライチェーンの隅々まで管理し、顧客が全体の状態を即座に把握できるソフトウェア・ソリューションを考え出すように命じたのです。
顧客との話を通じて、ユーザーがそれぞれのサプライチェーン全体を管理できるクラウド・ソフトウエア・パッケージに大きな機会があることを、ミハイルは突き止めていました。彼が考えたシステムは、モバイルアプリを使ってリアルタイムで、チェーンのあらゆる部分のデータを集計し利用できるプラットフォームでした。ユーザーはカスタマイズのダッシュボードを使って、サプライチェーンにおけるリスクを特定して先に手を打ったり、あらゆる構成要素や完成品がどこにあるかを追跡したりすることができるのです。
フレクストロニクス側としても、「うちの製品は時間どおりに出荷されたか」とか、「タイで洪水が起きたが、うちのサプライチエーンにどんなリスクがあるか」など、ユーザーからの重要な質問に回答できるようになります。従来型のERPシステムは、数百万ドルの費用をかけて数年がかりで開発していきますが、新製品はSaaSとして売り出し、顧客には利用状況に応じて支払ってもらうことにしました。大手顧客の場合、だいたい年間20万~30万ドルの売り上げが見込めます。
2012年にミハイルはマクナマラに対して、大企業の社内スタートアップとして新会社エレメンタムをインキュベーションすることを提案し、同意を取りつけました。フレクストロニクスがまず2000万ドルを投じ、そこでエレメンタムが成功すれば、ベンチャーキャピタリストから追加資金を調達するとことにしました。
フレクストロニクスと切り離すことで、フレクストロニクスの競争相手も含めて関係する全ユーザーに営業活動をかけることができれば、新会社の可能性は大きく広がります。
うまくいけば、この企業はフレクストロニクス以上の価値があるかもしれない。社内に留めておけば、飼い殺しになる。(マイク・マクナマラ)
ミハイルはフレクストロニクスに籍を置きつつ、エレメンタムのCEOを務めたのです。彼は二足のわらじを履くことで、フレクストロニクス社内にあるサプライチエーンに関する膨大な専門知識にアクセスできます。また、社内の人脈を使って潜在顧客にコンタクトをとれるのです。しかし、すべての取締役がこのスタートアップに満足していたわけではありません。ミハイルからオフィスを取り上げ、部下を引き抜こうとする取締役も存在しました。これを避けるために、2人はエレメンタムを分離することを選択肢にしました。
エレメンタムがフレクストロニクスに組み込まれている場合、有能な人材を雇用できません。エレメンタムにはスピード、柔軟性、実験を重視する文化が必要であり、漸進型の改善や信頼性を重視するフレクストロニクスの文化とは異なっていました。フレクストロニクスのデータやチャネルを活用することには重要なメリットがありますが、財務報告、法的要件、さらに一部の人事関係など、大きな組織のプロセスの多くがエレメンタムにも適用されます。企業方針に背くことになるため、人員の解雇や迅速な採用がやりにくくなるのです。さらに新規採用者に株式を与えることは、大組織では十分に認められていませんでした。
同社は2014年2月、ライトスピード・ベンチャーからシリーズBで4400万ドルを調達しました。ヤフーの創業者であるジェリー・ヤン、ワークデイやピープルソフトの創業者であるデイブ・ダッフィールド、ボックスの創業者であるアーロン・レヴィなどから、新たな出資を受けたのです。エレメンタムは10社以上の顧客を獲得し、従業員数を現在の55人から倍増させたいと考えています。ある業界観測筋によると、エレメンタムがスピンオフした場合、10億ドルの企業価値になると言われています。
エレメンタムとSAPのByD(ビジネス・バイデザイン)事業を比較するとエレメンタムの強さがわかります。両社はどちらも大きな深化型組織の社内ベンチャーであり、SaaSという新しいビジネスモデルを用いています。SAPは機能的組織の中で、ByDをプロジエクトチームとして運営しようとしましたが、フレクストロニクスはエレメンタムを地理的に離れた場所にユニットを置き、組織を分離しました。 エレメンタムはCEOという高い地位の人から支援を取りつけ、この取組みに反対する人々からどうしても生じてくる抵抗に打ち勝てるよう、力添えしてもらったのです。また、このように全体的なレベルで統合が図られていたので、フレクストロニクス内の重要な資産(エレメンタムの成功に欠かせない資産)にも確実にアクセスすることができました。
対照的にSAPの場合、ByDは階層構造のせいで進捗が妨げられたり、意思決定が遅れたりすることが多く、支援を求めてアピールせざるをえませんでした。エレメンタムは別組織として運営しているので、KSFに合わせたソフトウェア(人材と文化)を導入できました。一方、SAPはプロジェクトチームという構造だったたために、探索活動と深化活動との間で絶えず摩擦が生じました。エレメンタムは探索と深化のユニットを分けることで成功しました。全体的なサポートを行い、専用の資源が配分され、独自のインセンティブを設けることで、難しい課題を克服していったのです。
本書には様々なケーススタディが紹介されています。どれもが面白く学びが多いので、今後もブログで紹介したいと思います。
まとめ
両利きの経営を採用することで、大企業は中核事業を維持しながら、同時にイノベーションを起こし、新たな成長を追求できるようになります。知の深化と探索を同時に行う組織を作ることが、競争の激しい現代の経営者には求められています。
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