
書籍:両利きの経営: 「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く
著者:チャールズ・A・オライリー, マイケル・L・タッシュマン
出版社:東洋経済新報社
ASIN : B09YTXZB99
【書評】『両利きの経営』をなぜ今読むべきか?AI時代を生き抜くための意思決定と組織戦略
世界最大手の写真用品メーカーだったコダックが2012年に倒産した際、私は「変化できない巨大企業が迎える残酷な結末」をまざまざと見せつけられ、変化の重要性を改めて痛感しました。
コダックほどの圧倒的な資本とブランドを持つ巨大企業であっても、破壊的イノベーションに対応する意思決定を誤れば、市場から退場を余儀なくされる時代が到来したのです。
しかし一方で、同じ写真フィルム市場を主戦場としていた富士フイルムのように、自社の強みを再定義して多角化に成功し、力強く成長を続ける企業も存在します。
この残酷なまでの明暗を分けた決定的な要因こそが、スタンフォード大学のチャールズ・A・オライリー教授とハーバード大学のマイケル・L・タッシュマン教授が提唱する「両利きの経営(原書 Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma)」です。
両利きの経営(Ambidexterity)とは、既存事業を磨き続ける「深化(Exploitation)」と、新たな成長機会を生み出す「探索(Exploration)」を同時に実現する経営の考え方です。短期的な利益を支える既存事業を強化しながら、長期的な成長を生むイノベーションにも資源を振り向ける。その両立こそが、変化の激しい時代に企業が生き残るための条件になります。
本書『両利きの経営』は、既存事業の効率化を進める「知の深化」と、新規事業を生み出す「知の探索」を、いかに高い次元で両立させるかを描いた組織論・リーダーシップ論の重要書です。単なる学術理論にとどまらず、AIによって産業構造が大きく変わる時代に、企業がどのように変化へ適応し、未来の成長機会をつかむべきかを具体的に示しています。
さらに本書の示唆は、企業経営だけに限られません。私たち個人にとっても、現在の専門性を磨く「深化」と、新しい知識や経験に踏み出す「探索」の両立は、キャリアと知的生産の質を高めるために欠かせない視点です。過去の成功体験や思い込みに縛られず、判断の質を上げるために、すべてのビジネスパーソンがいま読むべき一冊です。
この記事でわかること
・既存事業の深掘りと新規事業の探索を両立させる「両利きの経営」の真髄
・コダックと富士フイルム、USAトゥデイなどの事例から学ぶ、成功と失敗を分ける構造的要因
・なぜ生成AIをはじめとする急激な環境変化の時代に、この経営理論が不可欠なのか
・リーダーに求められる「一貫して矛盾したリーダーシップ」の具体的な実践メソッド
・ビジネスパーソンが自らのキャリアや日々の仕事術に「両利き」を取り入れるヒント
30秒でわかる本書のポイント
【結論】
・持続的な成長を実現するには、既存事業の「知の深化」と新規事業の「知の探索」を同時に行う構造が必要である。
・イノベーションを阻害する本当のボトルネックは現場のアイデア不足ではなく、経営層の意思決定と組織アーキテクチャにある。
・企業だけでなく、個人のキャリア形成においても「本業の深化」と「新しい学びの探索」の両立が生存戦略となる。
【原因】
・既存事業(深化)の成功体験や短期的な業績ロジックに縛られると、不確実性の高い新規事業(探索)への投資や実験が排除される。
・組織構造や評価・報酬制度が既存の成熟事業に最適化されているため、新しい挑戦をしようとする文化や異端の人材が社内で孤立してしまう。
・「深化」に必要な漸進的改善の文化と、「探索」に必要なスピードや失敗許容の文化が混在し、社内摩擦を引き起こす。
【対策】
・経営陣が明確な戦略的意図(なぜ両方が必要なのか)を持ち、探索ユニットと深化ユニットを構造的に分離しつつ、上位層で統合する。
・深化には利益と規律を、探索には実験と柔軟性を求めるという「一貫して矛盾したリーダーシップ」をトップが自ら発揮する。
・異なるユニット間を繋ぐ「共通の組織アイデンティティ(価値観)」を徹底し、運命共同体としての連帯感を生み出す。
本書の要約
『イノベーションのジレンマ』が「なぜ優良企業は破壊的イノベーションの前に敗れ去るのか」という病理を解き明かしたとすれば、本書『両利きの経営』は「では、どう組織を設計し、リーダーシップを発揮すれば既存事業と新規事業の両方で勝てるのか」という具体的な処方箋を示す決定版です。
企業活動を、既存事業の効率化・拡大を目指す「知の深化(exploitation)」と、新技術や新ビジネスモデルへの投資を伴う「知の探索(exploration)」に分類。これらを高い次元で両立させるための4つの成功条件(1.明確な戦略的意図、2.経営陣の関与・支援、3.対象を絞った組織構造の統合設計、4.共通の組織アイデンティティ)を提示しています。
富士フイルムやUSAトゥデイ、フレクストロニクスなどの豊富な事例を通じて、イノベーションは単なる「ひらめき」の問題ではなく、意図的に設計されるべき組織構造とリーダーシップの課題であることを論理的に証明しています。
こんな人におすすめ
・既存事業の成長が鈍化し、次なる一手を模索している経営層や部門長
・新規事業開発の担当者で、社内の反対勢力やリソース不足、評価の壁に悩んでいる方
・AIなどの急激な技術革新に対して、組織をどう変革し適応させるべきか悩んでいるリーダー
・過去の成功体験という思い込みに騙されず、俯瞰的な視点で判断の質を上げたいマネージャー
・これからの時代を生き抜くため、自らのキャリア戦略や学び直しの方向性を再設計したいビジネスパーソン
本書から得られるメリット
・破壊的イノベーションの脅威に対抗するための、具体的かつ実践的な組織設計のノウハウが得られる
・成熟事業と新興事業における「成功要因(KSF)の根本的な違い」を構造で考える力が身につく
・確実な利益が求められる領域と、不確実な実験が求められる領域に対する、資源配分と意思決定のフレームワークを獲得できる
・失敗を許容し、スピードを重視する「探索の文化」を大企業の中に生み出す手法がわかる
・組織論にとどまらず、個人のリスキリング(学び直し)や知的生産性を飛躍させる本質的なヒントが得られる

イノベーションのジレンマを打ち破る「両利きの経営」の真髄
富士フイルムは化学分野の専門知識を新規市場に活かそうと努力し始めたのに対し、コダックはあくまでも本業である写真事業の研究開発を収益化しようと、知的所有権の保護に向けて法務キャンペーンを積極的に展開した。(チャールズ・A.オライリー、 マイケル・L. タッシュマン)
多くの企業は、現在利益を生み出している既存事業の改善、すなわち「知の深化(exploitation)」に経営資源を集中しがちです。漸進的な改善やコストダウンによる効率化は、短期的な成果が見えやすく、確実性が高いため、組織全体が自然とその方向へと流れていきます。
しかし、既存の枠組みの中だけで最適化を続けると、いずれ必ず訪れる環境変化に取り残されてしまいます。これを避けるためには、自社の既存の認知の範囲を超えて、遠くに認知を広げていこうとする行為、すなわち「知の探索(exploration)」が欠かせません。
コダックと富士フイルムの事例は、この点を残酷なまでに浮き彫りにしました。かつて世界を席巻したコダックは、自社の中核となる強みを「ブランドとマーケティング」にあると考えました。そして、写真事業の研究開発を何とか既存の枠内で収益化しようと、知的所有権の保護に向けた法務キャンペーンを展開するなど、「知の深化」に極端に偏重した結果、デジタル化の波に飲み込まれて倒産しました。
一方の富士フイルムは、自社の強みを「技術力」だと正しく再定義しました。「液晶ディスプレイや半導体用の機能材料」「界面化学の専門知識を使った医薬品」「コラーゲンや抗酸化技術の専門知識に基づく化粧品」という3つの主要技術にフォーカスし、既存の知と新しい市場を掛け合わせる「知の探索」に果敢に挑戦したのです。結果として、富士フイルムはまったく新しい事業領域を生み出すことに成功し、持続的な成長を遂げています。
両者を分けたのは、技術力の差ではありません。「深化」と「探索」を同時にバランスよく行う「両利きの経営」を実践できたかどうかの違いです。知の深化と探索を同時に行えている企業ほど、イノベーションが起き、パフォーマンスが高くなることは多くの研究結果から明らかになっています。
大企業が成長を持続するためには、成熟事業で成功する組織をつくると同時に、新興事業でもベンチャーと競争できる体制を構築しなければならないのです。
本書が扱うテーマは、生成AIをはじめとするテクノロジーが爆発的に進化する現代、つまりAI時代にこそ極めて重要であると私は確信しています。 インターネットの普及やクラウドインフラ(AWSなど)の発展により、新規参入のハードルは驚くほど下がりました。
無名のスタートアップやベンチャー企業が、虎視眈々と大企業のマーケットを狙い、短期間でプロダクトを生み出しては、あっという間にシェアを奪っていく時代です。Uberがタクシー業界を駆逐し、Airbnbがホテル業界の風雲児となったように、破壊的イノベーションへの対応を少しでも間違えれば、いかに巨大な資本を持つ企業であっても一瞬で生き残れなくなります。
AIの登場により、この変化のスピードはさらに加速しています。これまで「知の深化」によって人間が時間をかけて行ってきた漸進的な改善や効率化の多くは、AIが瞬時に、かつ正確に代替していくでしょう。つまり、「深化」だけに頼る経営や個人のスキルは、急速にコモディティ化(陳腐化)していく運命にあるのです。
このような不確実な環境下において、私たちは過去の成功体験という思い込みに騙されてはいけません。成熟事業の成功要因(漸進型の改善、厳密な実行、リスク回避)と、新興事業の成功要因(スピード、柔軟性、ミスへの耐性、実験)は根本的に異なります。
この2つの異なる領域に対して、同じ評価基準やマネジメント手法を当てはめようとするから失敗するのです。判断の質を上げるためには、物事を構造で捉え、この「ルールの違う2つのゲーム」を同時にプレイする組織能力を獲得する必要があります。これこそが、いま私たちが『両利きの経営』を深く学び、実践しなければならない最大の理由です。
USAトゥデイの奇跡に学ぶ「一貫して矛盾したリーダーシップ」
いかに新聞ではなく、ネットワークになれるか?(トム・カーリー)
「両利きの経営」を実現するためには、トップが「一貫して矛盾したリーダーシップ」を発揮し、矛盾を抱えたままやりきる胆力が必要だと著者は説きます。その好例として本書で詳細に語られているのが、新聞業界の危機を見事に乗り越えたUSAトゥデイの事例です。 1990年代後半、USAトゥデイは「マックペーパー」と呼ばれるほど全米で広く読まれる日刊紙として成功を収めていました。
しかし、若者の活字離れやインターネットの台頭により、新聞購読者数は減少し始めていました。この不確実な未来に対し、社長のトム・カーリーは「新聞ではなく、ネットワークになる」という強力な戦略的意図を打ち出しました。紙媒体の新聞(深化)だけでなく、オンラインニュースやテレビ(探索)へと手を広げるイノベーションに挑んだのです。
当初、社内には猛烈な反対の声が上がりました。新聞部門はオンライン事業を競合とみなし、協力を拒みました。オンライン事業は資金難に陥り、優秀な人材が流出する危機に直面します。これは、探索ユニットを既存の業績ロジックの中に無理やり組み込もうとしたことで起きる典型的な失敗パターンです。
そこでカーリーは、組織を構造から見直しました。オンライン、テレビ、新聞という3つの事業ユニットを構造的に分離し、それぞれの文化や成功要因に合わせたオペレーションを許可しました。
その一方で、上級幹部チームには「1日1回発行の新聞、常時更新のオンライン、テレビの3つのプラットフォームでコンテンツを共有する」という一枚岩の連携を強く求めたのです。 事業間の統一を図るため、カーリーは「公正さ、正確さ、信頼性」というUSAトゥデイの共通の価値観を徹底的に補強しました。
さらに、オンライン部門とテレビ部門の責任者による毎日の編集会議を実施し、重要な接点をマネジメントしました。人事評価の際にも、ユニット間でコンテンツを共有したかどうかが考慮される運命共同体としての報酬制度を導入したのです。紙媒体の資源を転用して新しいウェブプロジェクトに資金を回すという物議を醸す決断も、反対意見に屈することなく断行しました。
USAトゥデイが成功したのは、カーリーというトップが明確なビジョンを示し、探索事業を既存のロジックから守りつつ、必要なところだけを厳格に統合するという「対象を絞った統合設計」を行ったからです。変われない組織のボトルネックは決して現場の怠慢ではなく、経営層の意思決定にあることを、この事例は雄弁に物語っています。
エレメンタムが示す、大企業発ベンチャーの正しい組織分離と資源配分
うまくいけば、この企業はフレクストロニクス以上の価値があるかもしれない。社内に留めておけば、飼い殺しになる。(マイク・マクナマラ)
もう一つ、本書の中で実務に極めて役立つ示唆を与えてくれるのが、電子機器の受託生産(EMS)で世界有数の規模を誇るフレクストロニクスが立ち上げた社内スタートアップ、「エレメンタム」のケーススタディです。 フレクストロニクスの本業は、アップルやフォードなどの巨大企業の製品を低コスト・短納期で製造・物流するサプライチェーン管理です。
低利益率で競争が激しいため、絶えず漸進型の改善(知の深化)をして効率性を高めることが成功の鍵でした。しかしCEOのマイク・マクナマラは、世界中のサプライチェーン全体を見渡せるリアルタイムの情報システムが存在しないことに強い危機感を抱いていました。
そこで彼は、イノベーティブ・ソリューションの責任者だったネーダー・ミハイルを抜擢し、サプライチェーンの隅々まで管理できるクラウド・ソフトウェア(SaaS)の開発を命じます。ミハイルはモバイルアプリを使ってリアルタイムでデータを集計・可視化する素晴らしいプラットフォーム「エレメンタム」の構想を練り上げました。
ここで秀逸だったのは、フレクストロニクスがエレメンタムを社内プロジェクトとして留めず、別会社としてスピンオフさせた意思決定です。
大企業の中に組み込まれたままでは、漸進的な改善や信頼性を重視する親会社の文化(財務報告、法的要件、人事方針)に縛られ、スタートアップに必要なスピード感、柔軟性、実験を重視する文化を育めないからです。優秀な人材に株式(ストックオプション)を付与することも、社内では不可能でした。
エレメンタムは組織を分離することで、スタートアップとしての機動力を獲得し、外部の有力ベンチャーキャピタルからの大型資金調達にも成功しました。同時に、ミハイルが親会社に籍を置き続けることで、フレクストロニクスが持つサプライチェーンに関する膨大な専門知識やデータ、顧客チャネルといった「重要な資産」には確実にアクセスできる仕組みを構築したのです。
本書では、このエレメンタムの成功と、SAPの社内ベンチャー「ByD」の失敗を対比させています。SAPは新規事業を既存の機能的組織の中で「プロジェクトチーム」として運営しようとしたため、階層構造のせいで意思決定が遅れ、探索活動と深化活動の間で絶えず摩擦が生じました。
組織の構造で考えることがいかに重要か。新規事業を成功させるには、既存事業と新規事業を物理的・構造的に切り離し、トップの強力な支援の下で独自の人材、文化、インセンティブを設計しなければならないのです。 個人のキャリアと知的生産への応用:私たちが実践すべき「両利き」の習慣 これまで企業の事例を中心に解説してきましたが、「両利きの経営」は決して大企業の経営者や新規事業担当者だけのものではありません。
私たちがこれからの時代を豊かに生き抜き、キャリアを構築するための「個人の仕事術・人生戦略」としても完全にスケールダウンできる、極めて普遍的なコンセプトなのです。 現在の会社での仕事(本業)に全力を注ぎ、専門スキルを磨き、日々の業務効率を高めて成果を出すこと。これは個人レベルにおける「知の深化」です。
もちろんこれは生きていく上で不可欠ですが、先述した通り、AIの進化や産業構造の激変により、今ある仕事の価値が数年後も同じように高く評価される保証はどこにもありません。「深化」のみに依存するキャリアは、非常に脆弱です。
だからこそ、私たちは意識的に時間とエネルギーを割いて、自分の専門外の領域に踏み出す「知の探索」を習慣化しなければなりません。休日にまったく違う業界の本を読む、新しいテクノロジー(生成AIなど)に自ら触れて実験する、社外のコミュニティや勉強会に参加する、あるいは副業を通じて新たなビジネスモデルを経験する。
これらはすべて、自分自身の認知の範囲を広げる探索活動です。 探索には時間もお金もかかり、短期的なリターン(給料のアップなど)はすぐには見えません。失敗に終わることも多いでしょう。
しかし、無数の探索のプロセスから得られた「新しい知見」と、本業で培った「深い専門性」が交差したとき、個人としての圧倒的な希少性、すなわちイノベーションが生まれるのです。
日々のルーティン(深化)に流されることなく、意図的にカレンダーに「探索のための空白」をブロックする。本業の規律を守りつつ、好奇心に従って新しい学び直し(リスキリング)に投資する。この「個人の両利き」を実践できるビジネスパーソンこそが、激動の時代において自らの運命をコントロールし、判断の質を上げ続けることができるのだと、私は強く信じています。
両利きの経営で経営者が実践すべき5つのアプローチ
最も成功している企業がイノベーションストリームを構築し、両利きの行動をとっていることはもう明らかなはずだ。深化ユニットでは重視されるのは漸進型イノベーションと絶え間ない改善だが、探索ユニットでは実験と行動を通じた学習である。探索ユニットはスピンアウトせずに、深化ユニットの中核となる資産と組織能力を探索ユニット内で活用する。内部的に矛盾をはらんだ探索ユニットと深化ユニットを共存させるには、包括的で感情に訴える抱負、基本的価値観、幹部チームの強い結束力が必要になる。
『両利きの経営』は、イノベーションを現場の創意工夫ではなく、経営者の意思決定と組織設計の問題として捉えています。探索(Exploration)と深化(Exploitation)の両立は自然には起こりません。経営トップが組織の仕組みと意思決定を意図的に設計して初めて実現します。 では、経営者は具体的に何を実践すべきなのでしょうか。
1.未来を示すビジョンを語る
経営者の最も重要な役割は、数値目標を示すことではありません。 「私たちは何を目指し、どのような企業へ進化するのか」という未来像を、社員が共感できるストーリーとして語ることです。 既存事業を担当する組織と、新規事業に挑戦する組織では価値観が異なります。その違いを一つに束ねるのは、経営理念ではなく、「実現したい未来」への共感です。
2.既存事業と新規事業の対立をマネジメントする
探索と深化は、必ず衝突します。既存事業を深化させ、収益力や競争力を強化する経営と、イノベーションによって新たな成長機会を探索し、事業として育てる経営では、時間軸も評価基準も異なるからです。 予算、人材、評価、経営資源を巡る対立は避けられません。
重要なのは、その衝突をなくそうとすることではなく、健全な緊張関係としてマネジメントすることです。 短期利益を守る部門と、未来を創る部門の双方を尊重しながら、会社全体の企業価値を最大化する視点で意思決定を下すこと。これこそが、イノベーションの時代に経営者へ求められる重要な役割です。
3.異なるマネジメントを使い分ける
既存事業には効率性、品質、生産性が求められます。一方、新規事業では仮説検証、スピード、学習、失敗から得られる知見が重要になります。 両者を同じ評価制度やKPIで管理すると、新規事業は短期利益を求める既存事業に飲み込まれてしまいます。 経営者には、「一つの会社の中で二つの経営を行う」という発想が不可欠です。
4.組織をつなぐコミュニケーションを設計する
組織を分けるだけでは、両利きの経営は成立しません。 探索組織は孤立しやすく、既存事業側との対立も生まれます。そのため経営者は、公式な組織だけでなく、部門横断の対話や人的ネットワークを活用し、双方の知識や経験が循環する環境を設計する必要があります。 組織を分離することよりも、「必要な場面で統合できる関係性」を築くことが重要です。
5.経営者自身が探索を続ける
企業は経営者以上には成長しません。 トップ自身が新しいテクノロジーを学び、スタートアップと交流し、異業種との対話を重ねることで、自らの意思決定の質をアップデートし続ける必要があります。 過去の成功体験は、経営者にとって最大の資産である一方、最大のバイアスにもなります。だからこそ、自ら未知の世界へ踏み出し、新しい視点を取り入れ続ける姿勢が、組織全体の探索文化を育みます。
『両利きの経営』は、組織論やイノベーション論として語られることが多い一冊ですが、本質は経営者の意思決定そのものを問い直す書です。 探索事業が育たない原因は、現場の能力不足ではなく、経営者の資源配分や評価制度、会議での議論のあり方に潜んでいることが少なくありません。 だからこそ、最初に変えるべきなのは組織図ではなく、経営者自身の意思決定です。 最後に、自社に問いかけてみてください。
「現在の経営の仕組みは、未来への挑戦を後押ししているだろうか。それとも、知らないうちに挑戦を止めてしまっているだろうか。」 この問いに向き合うことこそが、両利きの経営を実践する第一歩になるはずです。
コンサルタント 徳本昌大のView
本書『両利きの経営』を読み解く上で最も重要な視点は、イノベーションを個人の「才能」や「ひらめき」の問題から切り離し、「組織の構造」と「トップの意思決定」の問題として再定義した点にあります。 私たちは往々にして、「うちの会社には優秀なアイデアマンがいないから新規事業が生まれない」「現場にもっと創造性があれば変革できる」と考えがちです。
しかし、これは問題の本質を見誤っています。実際には、優れたアイデアの芽が生まれていても、既存事業の短期的な利益至上主義、失敗を許さない評価制度、部門最適に閉じた組織運営といった「構造的な罠」によって、無意識のうちにその芽を摘み取っているケースが少なくありません。
本書の偉大な価値は、この無自覚な組織の病理に光を当て、それを克服するための具体的なアーキテクチャを提示している点にあります。
既存事業を深掘りし、効率化する「深化」と、未来の成長機会を探る「探索」は、求められる人材、評価基準、組織文化、時間軸が大きく異なります。
だからこそ、両者を同じ仕組みで管理しようとすれば、探索は必ず深化に飲み込まれてしまいます。重要なのは、両者を単純に分離することではなく、トップの明確な意思によって、必要な距離と接続を設計することです。
経営論・組織論としての実務的価値の高さはもちろん、AIという黒船がすべての産業を再定義しようとしている現代において、本書の時代性はかつてなく高まっています。生成AIの進化により、既存業務の効率化は急速に進む一方で、企業には新しい顧客価値、新しい事業モデル、新しい競争優位を生み出す力が問われています。過去の成功体験を磨き続けるだけでは、変化のスピードに取り残されてしまうのです。
本書は、単なる教養として知っておくべき理論ではありません。企業が生き残るために、既存事業を守りながら未来を創るための実践の書です。そして何より、経営戦略の枠組みを「個人の生き方」や「学び直し」の羅針盤として応用できる点に、私は深い感銘を受けました。
現状維持が衰退を意味する時代において、企業も個人も「両利き」でなければ生き残れません。これまでの経験や強みを磨き続ける一方で、未知の領域に踏み出し、新しい知識や人との出会いを取り込む必要があります。過去の延長線上にない未来を創り出すために、自らの思考の枠組みを疑い、探索の旅へと踏み出す勇気を与えてくれる最高の一冊です。
FAQ
Q1. 「知の深化」と「知の探索」の理想的なリソース配分の割合はあるのでしょうか?
A1. 企業の置かれたフェーズや業界の環境変化のスピードによって異なりますが、一般的には売上や利益の大部分を占める既存事業(深化)に8〜9割のリソースを割きつつ、1〜2割のリソースを聖域として新規領域(探索)に「継続的かつ意図的」に投資し続ける仕組みをビルトインすることが重要だと言われています。重要なのは、短期的な業績悪化を理由に探索への投資をゼロにしないトップの覚悟です。
Q2. 大企業ではなく、中小企業や個人事業主でも「両利きの経営」は実践できますか?
A2. もちろんです。むしろ人的・資金的リソースが限られている中小企業や個人こそ、生存戦略として必須になります。既存業務のプロセス改善やAIツールの導入によって徹底的に効率化(深化)を図り、そこで生み出した「余白の時間」を、意識的に新しい学習や新市場のテストマーケティング(探索)に振り分けるというサイクルを回すことが、個人やスモールビジネスにおける両利きの実践法となります。
Q3. 社内で「知の探索」に取り組もうとすると、既存部門からの反発が強く進みません。どうすべきですか?
A3. 本書のUSAトゥデイの事例にあるように、トップ自らが「なぜ今この新しい挑戦が必要なのか」という戦略的意図を繰り返し言語化し、社内に「共通のアイデンティティ」を醸成することが不可欠です。同時に、探索チームを既存の評価制度や予算管理から物理的・構造的に切り離し(スピンオフなど)、初期段階では既存事業の厳格な業績ロジックから守り抜く組織設計を行うことが解決への第一歩となります。
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