ロックの正体 歌と殺戮のサピエンス全史 (樫原辰郎)の書評

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ロックの正体 歌と殺戮のサピエンス全史
樫原辰郎
晶文社

本書の要約

ロックンロールは黒人音楽やR&Bからの影響を受けており、人種の垣根を越えた文化の交流や融合を象徴しています。若者たちは黒人のリズムやスタイルを取り入れ、新たな音楽の形を創り出しました。アメリカの黒人と白人がお互いをリスペクトし、交差することで新たなムーブメントが生まれ、参入障壁の低さからそれが世界中に一気に伝染していったのです。

ロックの正体とはなにか?

ヒトの集団が形成するネットワーク的な社会において、個人と個人は社会的な紐帯によって繋がり、編み物のような状態を維持している。親兄弟や恋人、親友とは、強い紐帯で繋がっている。ちょっとした顔見知りとか、友達の友達というのは弱い紐帯による繋がりだ。たとえば戦争が起きた時には、誰しも強い紐帯で繋がっている人を優先して助けるだろう。しかし、平常時には弱い紐帯による繋がりが、かなり便利なことも我々は経験的に知っているのだ。 (樫原辰郎) 

著者の樫原辰郎氏は、ロックの歴史を振り返りながら、ロックの正体を明らかにしています。ロック現象の本質を解明するために、弱い紐帯理論、行動経済学、神経科学、生物行動学、ゲーム理論など様々なアカデミック分野における知見を踏まえつつ、ロックの本質を明らかにしています。

日常生活において、私たちはよく、Aさんを信頼しているから、Aさんが紹介してくれたBさんを信用することがあります。これは、Aさんとの強いつながりをハブとして、Bさんとの弱いつながりを築くことになります。もしも仮にBさんが私たちを裏切るようなことをした場合、Aさんとの関係まで悪化する可能性があります。しかし、もしもBさんが私たちにとって好ましい働きをした場合、Bさんと良い関係を築くことができ、さらにAさんに対する信頼も増すでしょう。

私たち人間は、根本的にこのような関係性に依存する動物です。このような関係性に対する学習は、幼児期から思春期までに行われます。同じ世代で共通して好まれる文化があれば、それは社会的なつながりを強める一因となります。さらに、若者は新しい文化を好む傾向があります。そのため、上の世代には理解しにくい新しい文化として登場したロックは、20世紀において若い世代のつながりを強めるのに役立ったはずです。

私は1975年から79年までロックの虜になっていました。10代前半はハードロックとプログレッシブロック、14歳のときにセックス・ピストルズを体験するなど、ロックが私の人生に刺激を与えてくれました。またロック好きの仲間がハブになり、様々な出会いが生まれたことを思い出しました。ロックという体験が、学校以外の私の人間関係のネットワークを広げてくれたのです。

進化心理学において、ロビン・ダンバーが提唱した「ダンバー数」とは、個人が安定した社会関係を維持できる知り合いの数のことを指します。ダンバーによれば、この数は約150人前後であるとされています。

しかし、成功したロックスターたちは、生涯でセックスをする相手の数がダンバー数をはるかに超えることが多いと言います。つまり、1970年代までに成功した多くのロックスターは、自分がセックスをした相手の顔や名前、肉体などを正確に覚えていない可能性があります。

一方、ロックスターとセックスを経験した女性の方は、その経験が一生忘れられない思い出となるでしょう。このような関係はウィンウィンの状態に近く、ナッシュ均衡の要素も含まれています。

もしロックスターとセックスをした女性の中に、ある男性が片思いしていた場合、その男性にとっては悲劇的な状況かもしれません。しかし、そうした男性たちもロックにお金を使うことで、この文化が一大産業となったのです。

ロックスターになった男の子はたくさんの女性とセックスすることが可能になるのだけれども、若くして死んでしまうリスクもあった。個人的にこれをロックのジレンマと呼んでいる。人間は、とにかく長生きした方が良いわけで、ヘンドリックスがもしも長生きしていたら、彼はもっと素晴らしい作品をたくさん残していただろう。

ロックスターのイメージは、しばしば”ライブハード、ダイヤング”のマントラに従ってきました。多くの場合、ロックの世界は反体制、無秩序、自己破壊的行動と結びついているという誤解を生んでいます。しかし、それはすべての真実を語っているわけではありません。

実際、健康に気をつけ、忠実に生きるロックスターたちが静かながらもパワフルな革命を起こしています。 この健康的なライフスタイルを採用したミック・ジャガーのようなロックスターたちは、真の意味でのピボット、つまり軌道修正をロック界にもたらしました。

ロックの世界が現在、健康志向にシフトしているという事実は、多くの人々にとって驚きでしょう。しかし、この進化は、長い間続いてきた挑戦と変化の結果であり、そのルーツはロックの黎明期にまで遡ります。 ロック音楽が誕生したのは、二度の世界大戦が終結し、ようやく平和が訪れた1950年代のことでした。

その初期の20年間は、ロックスターたちは過度な性的放縦やドラッグに溺れるライフスタイルを賞賛する傾向にありました。これにより、多くの有望な若者たちがその生活様式に引き込まれ、不幸にも命を落とす結果となってしまいました。

しかし、時間が経つにつれて、ロックの世界は変貌し始めました。健康的なライフスタイルを推奨し、忠誠を尊ぶロックスターたちが現れたのです。それは、ロックにおける真の革命とも言える出来事であり、その進化を促進しました。

現在、この健康志向のトレンドはロック音楽界にとどまらず、ファッションやライフスタイルにも大きな影響を与えています。ロックスターたちが率先して健康的な生活を心がけることで、この傾向がますます広まってきています。 このような健康志向のトレンドは、世界全体へと拡大することが期待されています。音楽のみならず、社会全体がより健康的な生活を重視するようになれば、これからの地球環境や人々の生活にとっても大きな前進となるでしょう。

健康を意識したシルバー世代のロックスターのライブを見ることで、ミドル世代以降のおじさんは勇気と元気をもらえます。ロックの進化と、その中での健康志向へのシフトは、我々が直面している課題に対する新たな解答を提示しています。一見、矛盾しているように見えるかもしれませんが、それが変化するロックの真骨頂であり、その力は未来への変革を促す可能性を秘めています。

ロックの歴史とは変革の歴史

ロックというのは20世紀の後半に誕生した、人類の歴史の中ではかなり最近の文化である。20世紀といえばテクノロジーの時代でしょう。実際、エレキギターという文明の利器がなければロックは成立しない。ロックは紛れもなく科学文明の産物なのだ。なのに、どうしてこんなにプリミティブなのだろう。更に言うと、ロックが誕生する十年ほど前まで、人類は史上最大規模の悲惨な戦争をしていたのである。ざっくり言うと、20世紀というのは前半が世界大戦の時代で、後半がロックの時代であった、ということになりますね。

戦争が終わり、人類は突如として盛大なダンスパーティを開始しました。人類の文明が大きく進展し始めたのは約一万年前とされています。その間、私たちの祖先は多様な文化を育み、偉大な科学、哲学、芸術などを創造しました。これらはまさに人類の知恵です。驚くべき知能を持つ生物でありながら、人類は歴史的に見ると最近の20世紀前半において、高度なテクノロジーを駆使して戦争に没頭し、その後は音楽を通じてテクノロジーによる忘我の境地を追求していました。

このような事実を踏まえると、私たちは文明の進歩に伴って進化し、技術を駆使してさまざまなことに没頭する傾向があることがわかります。一方で、戦争や忘我の追求によって破壊や分断が生じることも事実です。私たちはこの歴史を振り返り、より良い未来を築くために、知識や技術を使って共存と平和を追求することが重要です。

リバプールは港町としての特性から、20世紀に入ってもアメリカのレコードが早く入ってくる環境にありました。このことから、ビートルズ以降のロックは基本的に英語圏の音楽として発展し、アメリカとイギリスが相互に影響しあいながら、さらにアフリカのリズムを取り入れて進化してきたと言えます。ロックの歴史は三角貿易を微妙に連想させるものであり、好意的に見れば奴隷貿易で悲惨な歴史を辿った航路の平和的な活用とも言えるのです。

20世紀前半のアフリカ系アメリカ人の生活環境は白人と比較して極めて不利なものでした。また、同様に貧しい白人も存在し、彼らは黒人と共に近い地域で生活し、文化を共有していました。そのため、貧しい白人の子供たちは幼い頃から黒人音楽に触れ、彼らが最初のロックンロールスターであるエルヴィス・プレスリーとなったのです。アメリカはそのような状況下で、自分たちの歴史を奪われた黒人たちが自然発生的に独自の音楽を生み出したのでしょう。これは非常に画期的な出来事であったと言えるでしょう。

このような背景を考えると、ロックンロールの歴史は多様な要素が絡み合い、社会的・文化的な変革をもたらしたと言えます。

どんな民族であっても、音楽というのは過去の文化を継承し、伝承することで成立している。ところがアメリカの黒人においては先祖から継承したアフリカ音楽の伝統をぶった斬られ、なおかつ英語をベースにして新しい音楽を生み出す羽目になってしまったのだ。だからアメリカの黒人音楽は民族音楽の一種ではあるけれども、一旦はその歴史を切断された民族音楽なのだ。歴史を切断されたことは確かに悲劇なのだが、そういった状況下においては、ずっと続いてきた伝統的な音楽においてはなかなか起きないような新しい表現が生まれることもある。

ジャズやロックなど、アメリカの黒人音楽に影響を受けた音楽では、歴史の切断が頻繁に見られます。例えば、ロンドンパンクはその一例です。この運動では、過去の名だたるロックバンドを否定し、新しい時代の文化を反映した音楽を創造することが宣言されることがありました。奴隷商人によってアフリカから連れてこられた黒人たちは、強制的に歴史から切り離されました。

しかし、黒人の音楽に影響を受けたロックにおいては、逆に過去の音楽を否定し、歴史の切断を試みる動きが生まれたのです。 このような歴史の切断は、白人の文化において「レヴォリューション」という概念が存在していたから生じたものと言えます。つまり、新しい文化を創造するために意図的に歴史を切り離すという考え方が、白人の文化には根付いていたのです。

ロックンロールが黒人音楽から受け継いだ最大の文化的な遺産は、その音楽への参入障壁の低さです。この特徴によって、ロックンロールは誰もがロックスターになる可能性を持つ夢を世界中に広めました。 黒人音楽の起源はアフリカのリズムやブルースにあります。

しかし、ロックンロールの誕生によって、それまで閉ざされていた音楽の世界が開放され、若者たちは自ら楽器を手に取り、自分たちの表現を追求することができるようになったのです。スポーツ以外で女性にモテる方法があると知った若者たちが、エレキギターで異性への存在感を示すことで一気に広がっていきました。

音楽を始めるための教育や特別な技術は必要ありませんでした。重要なのは情熱と創造力であり、自分自身を表現する勇気があるかどうかです。この参入障壁の低さによって、ロックは世界中で広まり、多くの人々に愛されるジャンルとなりました。若者たちは自宅のガレージや地元のクラブでバンドを結成し、独自の音楽を創り出していきました。

参入障壁の低さは、ロックが持つ魅力の一つです。誰しもが音楽を通じて自分自身を表現し、夢を追い求めることができるのです。そのため、ロックは世界中の多くの人々に希望と勇気を与え、新たな音楽の才能が発掘されるきっかけとなりました。

ロックが進化した理由

ロックンロールの始まりは、1951年にラジオDJであるアラン・フリードが自身の番組の題名を「ムーンドッグズ・ロックンロール・パーティ」と改めたことがきっかけです。フリードはこの番組で、チャック・ベリーやリトル・リチャードといった黒人のR&Bを積極的にオンエアしました。フリード自身は白人であり、番組も白人向けのものでした。

アメリカでは人種の分断があり、市場も白人向けの音楽と黒人向けの音楽というように分かれていたのが一般的でした。しかし、ある時フリードが白人のティーンエイジャーたちが黒人音楽に合わせて踊っている様子を目にし、白人の若者たちにも黒人音楽を広めようと考えたのです。 フリードの思惑は的中しました。彼の番組を聴いて黒人音楽で踊る白人のティーンエイジャーが急増しました。

これは人類の歴史の中で非常に画期的な出来事です。なぜなら、チャック・ベリーの音楽に合わせて踊る白人の若者たちは、彼らの親の世代よりも黒人に対する偏見が少なかったからです。これは文明化が進んだ証拠で、差別がロックを聞く若者からなくなっていったのです。

消費者としての10代の若者たちである第二次世界大戦が終わって何が起きたかというと大がかりな経済成長だ。それによってティーンのお小遣いが少しばかり増えたのである。ロックに先立って黒人音楽から生まれたのがジャズなのはよく知られているが、ロックンロールの消費者はジャズよりも低年齢層だった。10代の少年少女がロックンロールにお金を使えるようになったからこそ、ロックは70年代に世界を制したのだ。

「スリラー」は、1982年12月1日に発売されたマイケル・ジャクソンのアルバムであり、「史上最も売れたアルバム」として知られています。本作には、ポール・マッカートニー、エディ・ヴァン・ヘイレンなどの白人ミュージシャンが参加しており、黒人文化と白人文化が交差する舞台となりました。このような多様性が取り入れられたアルバムは、多くの人々から支持されることがあります。

加えて、本作に収録された楽曲は、マイケル・ジャクソンが創り出したダンスやビートなどの新しい要素を多く含んでおり、ポピュラー音楽の様式を変革しました。したがって、「スリラー」は音楽界に影響を与えたアルバムの一つであり、異文化が交差した時に新しい文化が生まれることを示す典型的な例となっています。

歴史のなかには、奴隷貿易や戦争など、負の側面もありますが、さまざまな人々の交流や文化の発展も生まれてきました。かつてリバプールがアメリカからレコードを輸入したように、文化は時に歴史の荷物を背負いつつも、進化していくものです。文化は自らの力を持っているとも言えます。ロックの歴史も、多様な要素が組み合わさることによって進化していったのです。人や文化の交差点からロックは変化し、様々な世代に影響を与えてきたのです。

本書を読みながら、アイデアは交差点から生まれる イノベーションを量産する「メディチ・エフェクト」の起こし方フランス・ヨハンソン)を思い出しました。

ヨハンセンはアイデアの交差点には3つの力が必要になると述べていますが、まさにロックがラジオやテレビでおネアされることで、世界中に広がっていったのです。日本やドイツの家電メーカーやジョブズのアップルがその広がりを後押ししたのです。
■第1の力 人の移動 グローバリゼーション フュージョン
■第2の力 科学における相互乗り入れ
■第3の力 コンピュータ技術の飛躍的向上

ジャズやロックンロールは、まさに文化の交差だったが、それは経済成長によって消費者としての若者たちが小銭を持つようになったからなのである。ロックンロールはティーンの間で急激に広まった。

1951年、アラン・フリードが黒人のR&B音楽を積極的にオンエアするラジオ番組を始めたことで、白人の若者たちが黒人音楽に魅了され、その音楽に合わせて踊るようになりました。

この変化を受けて、ポータブルなトランジスタラジオが登場し、若者たちは自分たちの好きな音楽をいつでも聴くことができるようになったのです。 その後、松下電器(現在のパナソニック)やアイワがポータブルなラジカセを発売し、さらに1979年にはソニーのウォークマンが登場しました。

ウォークマンは世界中に衝撃を与え、ロックミュージシャンがその存在を広めることで、さらなる人気を得ました。私も高校生の頃、発売されたばかりのウォークマンを購入し、パンクやニューウェーブをひたすら聞いていたことを思い出しました。

ロックンロールが世界中に普及した背景には、日本やドイツなどの工業先進国が重要な役割を果たしました。これらの国は英語圏ではないにもかかわらず、独自のロック音楽を生み出し、世界的な影響を与えました。 特に日本やドイツには、第二次世界大戦の敗戦国としての歴史がありました。

しかし、このような状況においても、アメリカの最新の音楽が入ってくる米軍基地が存在し、若者たちはその音楽に触れる機会を得ることができました。それが、日本のグループ・サウンズやドイツのハードロックバンド、プログレバンドの誕生につながったのです。

また、英語圏であるアメリカやイギリスのロックが世界中に流通したのも、日本などの工業先進国がハブとして機能したからです。特に日本では、ウォークマンの登場によって音楽の持ち運びが可能となり、若者たちは自分の好きな音楽をいつでも楽しむことができました。

そして、このポータブルな音楽再生デバイスが進化し、後にはiPhoneとなって私たちの生活を根本から変える存在となりました。テクノロジーが音楽の聞き方を変え、ライフスタイルに大きな影響を及ぼしたのです。


 

 

この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

■インバウンド、海外進出のEwilジャパン取締役COO
IoT、システム開発のビズライトテクノロジー 取締役
みらいチャレンジ ファウンダー
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数 

■著書
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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