デジタル・プロレタリアートにならない方法。マルクス・ガブリエルの世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているかの書評


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世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか
著者:マルクス・ガブリエル
出版社:PHP研究所

本書の要約

GAFAの存在感が日々増していますが、実は現代人は彼らの労働力に成り下がっています。彼らは現代人を無料で使い倒し、現代人をデジタル・プロレタリアートにしています。政治がソーシャルメディアやテクノロジーが結びつくことで、独裁が進むことにも注意を払う必要があります。

ソーシャルメディアへの投稿は無償の労働か?

フェイスブックが存在する前は、写真のアップなんてしようとも思わなかった。フェイスブックがなかったからです。恐らく写真を撮ることすらなかったでしょう。家族のアルバム用には撮ったかもしれません。それが、今や人々はフェイスブックのために写真を撮っている。これはつまり、人々がフェイスブックに雇われているということです。(マルクス・ガブリエル)

マルクス・ガブリエル世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか書評を続けます。著者はGAFAなどのソーシャルメディアから現代人は解放されるべきだと言います。存在感を増すGAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)が今や世界を統治していると言っても過言ではありません。この巨大なGAFAの統治を止めるべく、何かしらの規則や法律を設けるべきだと著者は言います。本当にGAFAが身動きできないくらい徹底的に規制されるべきなのでしょうか?

GAFAはユーザーのデータから莫大な利益を得ています。誰かがバーベキューパーティを主催したとします。その写真を撮って、フェイスブックやグーグルにアップすると、2社はそのアップされた写真から広告費という利益を得ます。この写真のアップ作業は労働と言えます。誰かが投稿作業をすることで、2社は利益を積み上げています。

現代人はフェイスブックやグーグルのために、文字通り働いています。両社は投稿者にほとんどお金を払っていません。一部のアフィリエイターやインフルエンサーには報酬を支払っていますが、一般の投稿者への支払いはありません。

著者は、フェイスブックに税金を課すことが解決策の一つだと言いますが、これには法的な問題などがいろいろあるため、現状では難しいというのが実態です。あるいは、税金の代わりにベーシックインカムを払わせてもよいかもしれません。GAFAから得た価値と自分が提供した価値を相殺することで、お互いがWin-Winになれるというのが著者の考えです。

最近の調査では、現代人は1年間のうち約4カ月もネットをして過ごしているそうです。1年のうち4カ月も、びた一文くれないGAFAなどのネットサービスに時間を使っています。その一部は著者がいう労働です。GAFAは何かしらのサービスをくれているかもしれませんが、実際は、そのサービスで得られるものより多くの代償を私たちは支払っています。

日本は柔和で優しい独裁国家?

我々は自分たちがデジタル・プロレタリアート(無産階級)であることに気づいたほうがいい。一つ、あるいは複数の企業のためにタダ働きしているのですから。人類史上、こんな状況は一度も起こったことがありません。GAFAは「我々はビッグデータを吸い上げる代わりにたいへん便利なサービスを無料で提供している」などと言います。でも、実質無料ではありません。我々は気づかないうちに彼らのために働いているのですから。

著者もGAFAへの反対意見を持っていますが、ヨーロッパではGAFAを規制すべきだという議論が盛んです。グーグルがベルリンのクロイツベルク地区に新たな拠点を設立しようとしたとき、ベルリンでは反対運動が起きたと言います。一方、日本ではこう言った動きは目立たないのが実情です。日独ではテック企業への認識のギャップがあることがその理由だと著者は言います。

日本はテクノロジーに関するイデオロギーを生み出すのが抜群にうまいのです。日本は、地球上でテクノロジーがもっとも進んでいる地域の一つであり続け、機械に愛情を投影することで、人間としての欲望を置き換えてきました。

ドイツは実に長い期間、テクノロジーと独裁主義、イデオロギーとの関わりを味わってきました。ドイツが発明した自動車は、人類滅亡への多大な「貢献」を行いました。過去のテクノロジーの記憶がドイツの悪に結びついているため、ドイツ人はテクノロジーへに抵抗します。

ドイツの発明は最悪です。それからドイツは、二度の世界大戦で非常に重大な役割を果たしました。実際はもっとさまざまな要因が絡み合って引き起こされたのですが、端的にいうとそうなります。あれは人間を破壊するためにテクノロジーが使われた戦争でした。ドイツのテクノロジーに対する見識は、そういうものです。テクノロジーとは、壊滅という悪の力だと思っています。ですから、テクノロジーで利益を得ている一部の人々を除き、ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します。直感的に、独裁に対して反発を起こすのです。

著者は日本は非常に柔和で優しい独裁国家だと言います。日本文化は非常に発達していて、誰もが美の共通認識を持っており、食べ物も、庭園も、すべて完璧の秩序が保たれていますが、一方そこには暗黒の力が働きます。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、精神性まで抑えるかのような力が働き、時にテクノロジーへの服従が起こるのです。 日本の電車のシステムは完璧すぎ、著者から見ると逃げ場がありません。女性車両のルールを知らない著者はあっという間に駅員から排除され、その時ソフトな独裁を感じたと言います。

精神性まで抑えることが正しいと考える力とテクノロジーが結びつくことで、独裁が進む可能性を否定できません。実際、政府による官僚やメディアへの抑圧が進む中で、手続きが軽視され、データが改ざんされ、独裁は進んでいます。テクノロジーと独裁の関係を理解し、国家の動きを注視する必要があります。

人はイメージに簡単に操作されてしまいます。 人々はイメージの背後にある真実や現実に気付かず、愚かになっていきます。多くのネットの情報が良いイメージを醸し出し、嘘を伝えていたなら、あっという間に私たちは騙されてしまいます。ネットの情報を鵜呑みにせずに、自分の頭で考えるようにすべきです。自分の時間をソーシャルメディアに使いすぎ、自ら考えなくなることで、私たちはデジタル・プロレタリアートになり下がってしまうのです。

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