すべては「好き嫌い」から始まる 仕事を自由にする思考法
楠木建
文藝春秋
すべては「好き嫌い」から始まるから始まる (楠木建)の要約
経営戦略論の第一人者・楠木建氏によれば、戦略とは競合他社との違いを生み出すことです。しかし多くの企業は、業界で「良い」とされる施策を追求するあまり、同質化に陥ってしまいます。一方、独自の「好き嫌い」に基づく戦略は、本質的な価値を追求し、それに共感する顧客との持続的な関係を築くことを可能にするのです。
戦略に好き嫌いが重要な理由
戦略とは、一言で言えば、競合他社との違いをつくるということ。その時点でみんなが「良い」と思っていることをやるだけでは、他社と同じになってしまい、戦略にはならない。(楠木建)
経営戦略論の第一人者である一橋ビジネススクールPDS寄付講座競争戦略特任教授の楠木建氏は、戦略の本質について興味深い見解を示しています。 戦略とは、結局のところ競合他社との違いをつくることに尽きます。
しかし、この一見シンプルな命題の背後には深い洞察が隠されています。多くの企業が陥りがちな罠は、業界で一般的に「良い」とされる施策を追求することです。その結果として、皮肉にも企業間の同質化が進み、真の意味での戦略的優位性を築くことができません。
この点を理解する上で、アパレル業界における ZARAとユニクロの対比は示唆に富む事例となります。両社は同じアパレル市場で事業を展開しながらも、まったく異なる価値提供の方法を選択しています。ZARAは「ファストファッション」というコンセプトの下、最新のトレンドを素早く取り入れた多品種少量生産を特徴としています。
一方、ユニクロは「ライフウェア」という独自の概念を掲げ、基本的な生活着の革新に焦点を当てています。 ここで重要なのは、各社の選択した戦略が相互に排他的な関係にあることです。
ZARAが採用するショートサイクルの多品種少量生産という方式は、ユニクロの事業モデルとは本質的に相容れません。逆に、ユニクロが重視する品質の標準化や大量生産による効率性の追求は、ZARAの戦略的意図とは相反します。 楠木氏は、人から好き嫌いを排除することは不可能であり、また望ましくもないと指摘します。
多様な好き嫌いを画一的な良し悪しの基準に押し込めようとすることは、氷山を無理に海面上に引き上げるようなものです。そうした試みは莫大なコストを生むだけでなく、全体主義的な発想に陥る危険性をはらんでいます。
興味深いことに、楠木氏は好き嫌い族の平和主義的な性質に着目しています。歴史を振り返ると、戦争の引き金を引いてきたのは、往々にして絶対的な善悪の基準を押し付けようとする良し悪し族でした。対照的に、好き嫌いには本質的に争いが生まれにくい性質があります。この観点から、好き嫌いの相互理解と尊重は、世界平和への重要な道筋となりうるとの見方を示しています。
人生の大半の選択は、究極的には好き嫌いの問題に帰着します。それは「正しい」「間違っている」といった二元論や、政治的な正しさでは割り切れないものです。例えば「蕎麦か饂飩か」という選択に絶対的な正解はありません。好き嫌いは人それぞれであり、他者と自分の好みが異なることは当然のことです。
ただし重要なのは、互いの好き嫌いを尊重し合う姿勢を持つことです。 このような視点は、企業戦略の本質についても重要な示唆を与えます。真の戦略的差別化とは、単に「良いこと」を追求する以上の意味を持ちます。それは、時として業界の常識や一般的な「べき論」から意図的に距離を置き、独自の価値創造の論理を構築することを意味します。
特筆すべきは、同じ業界内であっても、複数の「勝者」が共存できるという事実です。現時点において、ZARAとユニクロは、同じアパレル業界にありながら、それぞれが独自の成功を収めています。この成功の根底にあるのは、各社が自らの「好き」を追求し、それに基づいて選択した異なる価値創造の道筋です。
このように、真の戦略的優位性は、画一的な基準への同調ではなく、経営者の確固たる信念と好みに基づく独自の選択の積み重ねから生まれるのです。多様な好き嫌いを認め合う文化こそが、創造的な戦略の土壌となるのです。
良し悪し思考に基づく企業は、常に「他社よりも優れているもの」を追求します。この発想は一見合理的に見えますが、往々にして業界内の同質化を招く結果となります。なぜなら、「より良いもの」という評価基準は、多くの場合、業界で共有された価値観に基づいているためです。
一方、好き嫌い思考に立脚する企業は、「他者との違い」とそれを実現するために「何をしないか」という選択に焦点を当てています。この発想法は、実際の成長企業の戦略に顕著に表れています。
グローバルでも成功するUMSの戦略とは?
現代の競争激化する市場環境において、「顧客ニーズに応える」というマーケットインの発想が主流とされています。しかし、ユニクロ、無印良品、サイゼリヤ(UMS)の3社は、独自の「好き嫌い」に基づくプロダクトアウトの姿勢によって、持続的な競争優位性を確立しています。
ユニクロは、「ライフウェア」という独自の価値観を軸に展開しています。流行を追うことや、顧客の一時的な需要に応えることよりも、自社が信じる「生活に根ざした本質的な価値」を追求しています。同社は、ヒートテックに代表される素材開発や、機能性と実用性の追求という自社の「好き」を徹底的に突き詰めることで、結果として幅広い顧客層からの支持を獲得しています。
無印良品は、「必要最小限」という哲学を貫いています。市場調査や顧客の声に振り回されるのではなく、「無駄をそぎ落とすことの美しさ」という自社の価値観に忠実であり続けています。過剰な装飾を避け、シンプルで長く使える製品を作り続けるという信念が、かえって時代を超えた普遍的な支持を生み出しているのです。
サイゼリヤは、「本物のイタリア料理をリーズナブルに提供する」という独自の信念を持っています。一般的なファミリーレストランが顧客の好みに合わせてメニューを多様化させる中、同社は自らが理想とする料理の提供にこだわり続けています。食材のサプライチェーンから調理法まで、妥協のない追求を続けることで、独自の市場位置を確立しています。
これら3社に共通するのは、市場の声に振り回されることなく、自社の「好き」を徹底的に追求する姿勢です。それは時として、一般的な市場の常識や顧客の声とは相反することもあります。しかし、その「好き」に基づく選択の積み重ねが、他社には容易に模倣できない独自の競争優位性を生み出しているのです。この3社はグローバル展開でも成功を収めていますが、ここから日本企業の文化や特質が評価されていることがわかります。
さらに重要なのは、この「好き」の追求が、必ずしも市場との断絶を意味するわけではないということです。むしろ、自社の価値観を明確に打ち出し、それを一貫して追求することで、その価値観に共感する顧客との強い結びつきが生まれています。
この好き嫌い思考のメリットは、単に差別化を実現するだけではありません。それは企業のアイデンティティを明確にし、一貫した戦略の実行を可能にします。また、社員にとっても、企業の方向性が明確になることで、日々の意思決定がぶれにくくなるという利点があります。
さらに重要なのは、この思考法が市場における多様性を生み出すことです。それぞれの企業が独自の「好き」を追求することで、消費者にとっても真の選択肢が生まれます。これは、画一的な「より良いもの」の追求では決して実現できない価値です。
このように、企業戦略における好き嫌い思考は、単なる主観的な判断基準ではなく、持続的な競争優位を築くための本質的なアプローチとなっているのです。
アマゾンの競争優位性とはなにか?
現実の戦略は経営者がキャンバスの上に自由に描く「アート」であり、「ストーリー」なのではないか。
ジェフ・ベゾスが他のEC経営者たちと決定的に違っていたのは、物事が起きる順番についての考え方でした。 多くの人々が考えていたのは、まずインターネットという物理的制約のない環境を活用し、品ぞろえを増やすことが顧客にとって便利であり、そこから顧客が集まるという流れです。物理的制約がないことで、従来より多くの選択肢を提供できれば、それ自体が魅力だと信じていたのです。
しかし、ベゾスは、この考えに納得しませんでした。ただ単に品ぞろえが豊富なだけでは、人々に特別な魅力を感じさせることは難しいと彼は考えていました。多くの選択肢を揃えた自動販売機があるだけでは、既存の売り場との差別化ができないというのです。
ベゾスが描いたビジョンは、購買意思決定のインフラを作り上げることから始まります。消費者が商品を購入するプロセスを徹底的に見直し、そこに新しい利便性を提供する。例えば、他の店舗を訪れる必要がなく、必要な情報が全て集約されている場所、安心して購入できるシステム、使いやすい検索機能など、あらゆる角度から購買体験そのものを支えるインフラを整備することに重点を置きました。
そうすることで、たとえすぐに購入に繋がらないとしても、消費者が情報を得るために日常的に訪れるようになります。その結果、アマゾンには多くの消費者が集まるようになり、それが次第に「アマゾンで商品を売りたい」というメーカーやセラーたちの関心を引きつけることに繋がったのです。そして最終的に品ぞろえが充実するという結果に至ります。
多くの他社が「品ぞろえの充実」を最初の段階での差別化要素と考え、その豊富さが顧客に利便性をもたらすと信じていました。しかしベゾスは、このような差別化のアプローチには限界があると見抜いていました。彼にとって利便性の本質は購買意思決定支援にあり、まずその体験を顧客に提供することで、結果的に多くのセラーが集まり、品ぞろえが充実するという順番が非常に重要だったのです。
アマゾンの施策は外から見ると、他社が取っているアプローチとさほど違いがないように見えるかもしれません。しかし、ベゾスが重視したのは、物事の順番、つまりどの段階で何を行うかという「時間的な配列」でした。その奥行きのある視点が、競合他社との間に決定的な違いを生み出しているのです。
他社が部分的に似たことを試みても、ベゾスの描いた順番で行わなければ、アマゾンの成功を生んだ論理は作動しません。その結果、競争力の差は縮まるどころかますます広がってしまうのです。 このように、ベゾスの競争戦略の本質は「物事の順番」にあります。
利便性を原因として創り出し、それを求める顧客を引きつけることで、セラーが集まり、最終的に品ぞろえが充実する。この戦略は、他社が見過ごしがちな「時間の使い方」によって成り立っているのです。そして、その時間軸に沿って行動することこそが、アマゾンの真の競争優位性を形成しています。
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