知ってるつもり 無知の科学 (スティーブン・スローマン, フィリップ・ファーンバック)の書評

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知ってるつもり 無知の科学
スティーブン・スローマン, フィリップ・ファーンバック
早川書房

知ってるつもり (スティーブン・スローマン)の要約

私たちは多くを理解しているつもりでも、実は知らないことにすら気づかずに行動しています。その誤りに気づくためには、「なぜ」と問い続ける姿勢が欠かせません。しかし、問いだけでは不十分です。私たち一人ひとりの知識には限界があり、その限界を補い合うのがコミュニティの力です。他者との熟慮や対話を通じてこそ、偏りを乗り越え、より深く正確な理解にたどり着けます。

なぜ、人間は自分が思っているより無知なのか?

人間の知性は天才的であると同時に哀れをもよおすほどお粗末で、聡明であると同時に愚かである。(スティーブン・スローマン, フィリップ・ファーンバック)

私たちは検索エンジンで瞬時に情報にアクセスできることで、人々は自分が実際よりも博識であるという錯覚を抱きやすくなっています。YouTubeやTikTokで専門家の解説動画を視聴しただけで、複雑な経済政策や政治問題について深く理解したと錯覚する人々が増えています。

仮想通貨投資ブームにおいても、多くの個人投資家がブロックチェーン技術の基本的な仕組みを理解しないまま、SNSの投稿や有名人の発言を根拠に大金を投じ、結果として大きな損失を被るケースが頻発しています。これらは典型的な知識の錯覚が現代のデジタル環境で拡大された例といえるでしょう。

この知的な矛盾は偶然ではなく、私たちの思考の構造に深く根ざした問題です。現代社会では情報の量と複雑さが飛躍的に増大しているにもかかわらず、人間の認知能力は石器時代から本質的に変わっていません。この認知的限界と現代社会の要求とのギャップが、知識の錯覚を一層深刻な問題にしているのです。

この課題を乗り越える方法は存在するのでしょうか。答えは確実にあります。 私たちの判断力の限界を正確に理解することが、ビジネスや日常生活において、より良い意思決定を行い、効果的な学習を実現し、建設的な対話を築くための出発点となります。

この解決策を明確に示してくれるのが、スティーブン・スローマンフィリップ・ファーンバックによる著書知ってるつもり 無知の科学です。彼らの25年以上にわたる研究は、「私たちはどれほど多くのことをわかったつもりになっているか」という人間の思考の盲点を明らかにしています。

身近な例として、トイレの構造を著者たちは取り上げています。ほとんどの人が毎日使っているにもかかわらず、その仕組みを正確に説明できる人はほとんどいません。

たとえば、トイレのレバーを押すと、タンク内のフラッパーと呼ばれるゴム製の弁が持ち上がり、水が一気にボウルへと流れ出します。この水がボウル内に一定量溜まり、トラップの最も高い部分を超えると、トラップ内の空気が抜けてサイホン効果が生じます。これによりボウル内の水が吸い込まれるようにして排水管へと流れていきます。これは、ホースを使って車からガソリンを抜き取るときと同じ原理です。

サイホン作用は、ボウル内の水位が下がり、空気が再び入り込むと停止します。その後、タンクには給水が始まり、次の使用に備えて自動的に水位が回復します。 この一連のプロセスは、使用者のほとんどにとって労力を要しない、きわめて洗練された機械的工程です。

しかし、この「シンプルさ」は見かけに過ぎません。仮にその仕組みを文章で簡単に説明できたとしても、それを真に理解している人はごくわずかです。今この説明を読んで、仕組みが明確にイメージできたのであれば、あなたはすでに「少数派」になっているのです。

しかも、理解すべきは構造だけではありません。トイレに使われる素材の性質――セラミックやプラスチック、金属などの物理特性――の知識が必要ですし、水漏れを防ぐためのパッキンには化学の理解が求められます。さらには、座りやすさを考慮した形状設計には人体工学、価格設定には経済学、そして製品選びの心理には行動科学まで関係してくるのです。

これはトイレに限った話ではありません。本書の表紙にもありますが、人は自転車の構造さえ正確に描くことができないと言われています。つまり、私たちは日常的に使っている製品でさえ、全体を正しく理解しているわけではないのです。

たとえ見た目が単純であっても、モノの背後には多くの専門知識が複雑に絡み合っています。ましてや、歴史や気候、細菌、恋愛、生命の誕生といったテーマになれば、なおさら一人の人間がその全体像を把握するのは、ほとんど不可能だといえるでしょう。

人が無知でも行動できる理由

人間は自分が思っているより無知ということだ。

私たちの意思決定に最も大きな影響を与えているのは、じつは「知らないことにすら気づいていない」という状態です。自分が無知であることに無自覚なまま判断し、行動しているのです。にもかかわらず、私たちが混乱せずに日常生活を送れているのは、人間の思考プロセスが、必要最低限の情報を素早く取り出し、それ以外の細部をあえて無視するように進化してきたからです。

つまり、私たちの脳は「完全な理解」を追い求めるようにはできていません。それよりも、目の前の行動に役立つ情報を効率よく処理し、すぐに使えるようにすることを優先しているのです。この仕組みこそが、私たちが多くを知らずに済んでいる理由であり、同時に「わかったつもり」に陥る根本的な構造でもあります。

著者らが繰り返し強調しているのは、人間がもし自分の頭のなかだけにある限られた知識と、そこから導き出される因果推論だけに頼っていたら、とてもここまで発展できなかっただろうということです。人類がこれほどまでに複雑な社会を築き上げてこられたのは、私たちが「知識に囲まれて生きている」からなのです。 知識は書物やデータベースだけでなく、私たちの身の回りの環境、他者とのつながりのなかに埋め込まれています。

日常生活を思い浮かべてみてください。ちょっとした故障や困りごとが起きたとき、誰にでも相談できる人がいます。たとえば、食器洗浄機が何度も壊れるようなときには、詳しい友人や業者に連絡を取るでしょう。彼らの知識を借りることで、問題はたいてい解決に向かいます。

テレビをつければ、大学教授や評論家がニュースや社会の構造についてわかりやすく解説してくれます。本もあるし、インターネットという強力な情報源には、思い立ったときにすぐアクセスできます。

現代に生きる私たちは、歴史上かつてないほど、広大な知識のネットワークとつながっているのです。 さらに見落とされがちですが、モノそのものも立派な情報源です。壊れた家電や自転車を眺めるだけで、何が問題か直感的にわかることがあります。ネジが外れていたり、チェーンが外れていたりと、視覚的に得られる情報は思いのほか多いのです。

街を歩いているときでさえ、私たちは膨大な知識と触れ合っています。道の構造、建物の配置、どの場所から何が見えるかといった情報は、実際に街を歩くことで自然に取り込まれていきます。そうした空間的・視覚的情報も、私たちの判断を支える大切な知の一部です。

このように、私たちは「自分の頭の中」にある情報だけで生きているわけではありません。むしろ、周囲にある知識、他者の知恵、モノの構造、空間の記憶など、あらゆる外部リソースと連携しながら、日々の判断を積み重ねているのです。そして、それこそが人類の大きな強みであり、文明がここまで発展してきた理由でもあります。

コミュニティの力が無知を救う!

人間の無知はますます意外に思えてくる。最適な行動を選ぶうえで因果関係がそれほど重要なのであれば、なぜ世界の仕組みについて個人の詳細な知識はこれほど限られていたるのか。それは、思考プロセスは必要な情報だけを抽出し、それ以外をすべて除去するのに長けているからだ。

本書で著者らが提示している最も重要な概念のひとつは、人間の知性が自らの脳にある情報と外部環境にある情報を、連続的に扱うよう設計されているという点です。人間はしばしば自分がどれだけ知らないかを過小評価しながらも、驚くほど巧みに世界を渡り歩いています。それが可能であるのは、進化の過程で築かれた高度な適応戦略の成果にほかなりません。

私たちの思考は、知識が内在するものであれ、外部にあるものであれ、シームレスに活用するようにできています。自分の頭の中にある情報と、他者やツールに依存した情報との境界を明確に区別することは困難です。というのも、そもそもそのような境界線は存在していないからです。この曖昧さがあるからこそ、人間は社会的な協力や分業を成立させ、複雑な環境にも適応してきたのです。

私たちは、自分が何かを理解していると思い込んでいますが、実際にはその多くが「知っているつもり」に過ぎません。著者らはこの現象を「知識の錯覚」と呼び、私たちが自分の知識を実態以上に評価してしまう傾向を鋭く描き出しています。自らの意見を正当なものと信じ、行動を確信を持って進める背景には、自分には理解できていないという現実を無視する仕組みが働いているのです。

しかし、この「嘘」は悪意によるものではなく、生き延びるための合理的な方法です。もし人が世界の複雑さを常に意識していたなら、日常的な行動すら困難になります。コーヒーを淹れるだけでも、電力、水道、農業、物流といった複雑なシステムが絡み合っており、それらすべてを理解して動こうとしたら社会は回りません。 とはいえ、この知識の錯覚は時に深刻な問題を引き起こします。

特に重要な意思決定が求められる場面においては、誤った認識に基づいた判断が大きなリスクとなります。そこで著者らは、人間の直観と熟慮の違いに注目しています。直観は個人の経験に基づくものであり、しばしばバイアスを含みます。

一方、熟慮は他者との対話を通じて深めていくものであり、私たちを社会的な存在としてつなぎとめます。 私たちは共同で直観を生み出すことはできませんが、共同で熟慮することは可能です。

「コミュニティとしての思考」という姿勢は、知識の錯覚を乗り越えるための鍵となります。異なる視点を持つ人々とともに考えることで、偏見を是正し、より信頼できる判断に到達できます。これは単なる意見の平均ではなく、多様な知識の融合によって生まれる質的な変化なのです。

この社会的知性の力は、現代の複雑な課題、たとえば気候変動や経済、テクノロジー倫理といった分野において不可欠です。こうした領域では、特定の専門知識だけでは対応できず、複数の分野をまたいだ集合的熟慮が求められます。 教育の場においても、この考え方は大きな示唆を与えてくれます。

本当の学びは、自分が「何を知らないか」を知るところから始まります。知っていることだけでなく、知らないことに気づく力が必要です。これは「なぜ」と自問する姿勢であり、知的成長の根幹をなすものです。知識の錯覚に対処するには、適切な問いを立てる能力と、自分の無知を受け入れる謙虚さが欠かせません。

現代の教育は、単に知識を詰め込むのではなく、理解の限界を認識し、必要に応じて他者の知識にアクセスする力を育てる方向へとシフトするべきです。批判的思考力、情報リテラシー、そして「無知の知」は、急速に変化する社会において必須のスキルです。

この知識の構造は、企業や組織でも重要な意味を持ちます。イノベーションや問題解決の場面では、個人の直観に頼るよりも、多様な視点を取り入れた熟慮によって、創造的かつ実効的な成果を得ることが可能になります。

私の大学での講義は、チームベースのインタラクティブな形式を採用しています。学生たちは、それぞれの知見や経験を持ち寄りながら活発に議論を重ね、単なる知識の習得にとどまらず、理解の深化や多角的な視座の獲得へとつなげています。このような協働的な学習環境は、思考の幅を広げ、複雑な課題に対して創造的にアプローチする力を育むうえで極めて有効であり、まさに「コミュニティの力」が発揮される場であると実感しています。

私たち一人ひとりも、重要な意思決定に際しては「なぜ」と問い、自分の知識の限界を自覚し、必要に応じて専門家の知見を取り入れることが求められます。投資、医療、教育、キャリアといった分野では、こうした姿勢が成果を左右するのです。 人間の認知システムは、知識を内外の区別なく扱うよう進化してきました。この特性を理解することで、私たちは複雑な問題にも柔軟に対応することができます。

自らの限界を認識することによって、他者の意見に謙虚に耳を傾けることができるようになり、より深い理解に至る道が開かれるのです。 政治の分野でもこの理解は重要です。単純なスローガンに流されるのではなく、専門的知識や多角的な視点を通じて熟慮を重ね、他者とともに判断していくことが、健全な民主主義の実現には欠かせません。

本書が伝えようとしているのは、知性とはすなわち「知らないことを知る力」であるという逆説的な真実です。完璧な理解を求めるのではなく、他者と知識を共有し、ネットワークを築き、共に考える力こそが、真に価値ある知性だと示しています。

知識の錯覚から目を覚まし、真の知恵に至る旅は、この一冊から始まります。自分の思考を問い直し、他者と熟慮を重ね、変化する社会をしなやかに生き抜くための力を本書は私たちに与えてくれるのです。現代を生きるすべての人にとって、手に取る価値のある一冊であると断言できます。

最強Appleフレームワーク


この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
株式会社INFRECT取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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