コモングッド―暴走する資本主義社会で倫理を語る(ロバート・B・ライシュ)の書評

man wearing Donald Trump mask standing in front of White House

コモングッド―暴走する資本主義社会で倫理を語る
ロバート・B・ライシュ
東洋経済新報社

コモングッド(ロバート・B・ライシュ)の要約

ロバート・B・ライシュによると、アメリカでは公共的議論が表層化し、対立的な意見交換が目立つようになっています。「コモングッド」(公共の利益)という概念が軽視され、それが社会の分断と政治的混乱を深刻化させているとライシュは警告を発しています。この状況を改善するには、教育の再生が不可欠だと指摘しています。

コモングッドを失った現代アメリカ社会

中間層の多くもストレスにさらされ発言力を失っている。自らを民主党員と認ずる人も、共和党員だという人も、リベラル派も保守派も、みな一様に不安を抱え、似たような不信感を募らせている。私たちはみな、対立する主義主張ごとの種族に分断され、その中でもさらに小さな種族に分裂させられてしまった(ロバート・B・ライシュ)

ロバート・B・ライシュは、18冊の著書を執筆した文筆家であり、教授、そして弁護士としても知られています。彼はビル・クリントン政権では労働長官を務め、日本でも有名な存在です。

ライシュはアメリカにおける公共的議論の質が低下し、表面的で対立的な意見交換が主流となっている現状について警鐘を鳴らしています。このような状況下で、「コモングッド」(公共の利益)という概念が軽視されていることが、社会的な分断と政治的混乱を助長しているとライヒは指摘しています。

彼は、このコモングッドという概念が時代遅れと見なされるようになった経緯を詳細に分析し、共有された価値観がアメリカのアイデンティティにとって不可欠であることを強調しています。

著者の見解によれば、コモングッドとは市民が互いに負うべき社会的価値の集合であり、法律の尊重、民主的制度の維持、個人の違いの受容、平等な権利と正義などが含まれます。これらの要素は、アメリカの国民的アイデンティティを形作り、政治的立場を超えた統一性の基盤となるものです。

「コモングッド」とは、同じ社会の一員として連帯する市民が、互いにどんな義務を負っているかを示す共有価値である。それは、私たちが自発的にそれに従おうとするような規範であり、また、私たちが成就させたいと願う理想でもある。

彼は特に、アイン・ランドやウーバーの共同創設者トラビス・カラニックらに代表される、コモングッドの存在自体を否定する考え方に真っ向から異を唱えています。 ライシュによれば、コモングッドは単なる理想や抽象的な概念ではなく、社会を機能させる上で不可欠な要素です。

私たちが日常生活の中で従うべき善悪の判断基準や共通の価値観がなければ、社会は弱肉強食のジャングルと化してしまうでしょう。そこでは、力や知恵、警戒心に長けた者のみが生き残る可能性を持ちます。しかし、そのような状態はもはや社会とは呼べません。

さらに言えば、礼節(civility)を欠いた状態は文明(civilization)とすら呼べないとライシュは指摘します。 現代のアメリカは、自国の進むべき方向性や世界における役割について、市民の意見が深く分断されています。しかしライシュは、同じ社会の構成員として共生していくためには、いくつかの基本原則について合意が必要だと主張します。

それは例えば、意見の相違をどのように扱うのか、民主的制度をいかに維持するのか、法的義務をどう捉えるのか、そして真実をどのように尊重するのかといった根本的な問題に関わるものです。 このような基本原則は、社会の安定と発展にとって不可欠な土台となります。

著者は、近年の政治的・社会的分断によってこの土台が揺らいでいることに警鐘を鳴らしています。同時に、これらの原則を再構築し、強化することなしには、健全な民主主義社会の維持は困難であると訴えかけています。

しかし、ライシュは希望を失っていません。日々の生活の中で見られる普通のアメリカ人たちの思いやりと寛容さに、彼は社会再生の可能性を見出しています。ただし、その道のりは決して容易ではないと警告しています

トランプ時代にコモングッドが重要な理由

いろいろな意味でトランプは、アメリカの何が間違った方向へ行ってしまったのかを体現している。だが、これだけははっきり述べておきたいのだが、トランプが「原因」なのではない。彼は「結果」である。この国で何年もかけて進行してきたことの論理的帰結なのだ。

現代社会における政治と経済の状況は、私たちが社会の基盤として共有してきた価値観、すなわちコモングッド(公共善)の概念が揺らぎつつあることを物語っています。ライシュは特にドナルド・トランプ政権の時代にこれが顕著になったと分析しています。

一方で、彼の視点は単なる批判を超え、こうした時代が私たちに問いかけている根源的な問題を浮き彫りにしています。民主主義とは何か、専制主義とは何か、さらには社会契約という共通の合意の意義とは何か――これらを再考する契機となったトランプ政権下の経験を通じ、彼は共有された価値観を取り戻すための新たな道筋を示しています。

ライシュの指摘する最大の問題点は、コモングッドが軽視される社会が抱える根本的なリスクにあります。公共の利益を守るという基本的な意識が薄れることで、公的機関への信頼は失われ、民主主義の土台そのものが揺らぎます。

その結果、個人や特定のグループの利害が公共の利益を凌駕し、社会の様々な領域で偏りが生じます。議会では議員が再選や支持者の利益を優先して政策を打ち出し、司法は特定のイデオロギーや圧力に屈した判決を下し、規制機関は監視対象である産業と癒着し透明性を失います。さらには、警察や行政機関でさえ、特定の利益集団の意向に従属し、公平な執行が困難になる状況が広がります。

「手段を選ばない」政治が蔓延する現代において、ライシュはジョン・マケインのような良心のある政治家の存在を評価しています。真のリーダーシップとは、マケインのように勝利至上主義を超えて、社会全体の利益を追求する姿勢にあると指摘しています。

ライシュによれば、政治的リーダーシップの本質は、単なる選挙での勝利や政策の実現にあるのではありません。むしろ、他の政治家たちに対してコモングッドの重要性を説き、国民全体に良識ある判断の価値を示すことにあります。

真のリーダーには、短期的な勝利よりも長期的な社会の健全性を重視する視点が求められます。 これは単なる道徳的説教ではなく、民主主義社会を維持するための本質的な要素となります。良識ある判断が社会全体にとってなぜ重要なのか、それを具体的に示すことができるリーダーの存在が、今まさに求められています。

このような政治的リーダーシップは、分断された社会を再び統合する力となります。それは、異なる意見や立場を持つ人々の間に対話の架け橋を築き、共通の価値観を育むことを可能にします。ライシュは、このような指導者の出現こそが、現代政治の行き詰まりを打開する鍵になると論じています。

それは単に若者に知識を教えることにとどまらず、社会全体が共有する倫理観を取り戻すための包括的な取り組みであるべきだというのです。この教育は、民主主義の基盤を再構築するための最も重要な要素であり、すべての市民が自身の行動が公共の利益にどう影響するのかを考え、行動に移すための基礎を築きます。

一方で、著者は現状に対して絶望的な見方をしているわけではありません。彼は日常生活の中で見られる市民一人ひとりの思いやりや寛容さに希望を見出しています。このような普遍的な人間性の特質が、分断された社会を再び結びつける鍵となり得ると彼は信じています。

これらの価値を国全体に広げることができれば、民主主義の再生と社会の絆の回復は可能です。そして、民主主義を支える新しいリーダーシップのあり方を模索し、真実に基づいた議論を促進し、市民としての義務を再認識することが、その第一歩となるでしょう。

さらに、著者はコモングッドが尊重される社会の可能性についても触れています。そのような社会では、移民や貿易、新しい技術の導入といった変化がもたらす混乱に対して、住民は前向きに受け入れる傾向があります。これは、公共の利益が公平に守られる社会では、混乱が不当に特定の層に負担を強いるものではないという信頼が共有されているためです。

このような信頼感がある社会では、改革が自身の利益に資するものであると信じることができるため、人々は新たな挑戦や変化を受け入れる意欲を持つようになります。その結果として、社会全体が公平性と機会の均等を促進する方向に進み、さらなる成長と安定が期待できます。

コモングッドを取り戻すために必要なこととは?

「コモングッド」を維持するには、社会にはびこる欺隔を常に警戒し、それを見つけたら公然と不名誉を与えなければならない。真実を大衆に知らせ、報復を恐れず虚偽を暴くのは、政治家だけでなく、報道記者、研究者、科学者、学識者たちの責任である。そして、自身が見聞きしたことが事実かどうかをチェックすること、信頼できる情報源を見出すこと、真実を他者と共有すること、さらに、嘘をついた人や事実を曲げた人の責任を追及するのは、私たち市民の責任である。また、すべてのアメリカ人が真実と嘘とを正しく見極められるよう、見聞したことを批判的に検証できるよう、十分な教育を受けられるようにすることも必要だ。

現代社会における情報の真実性を追求することは、多様な立場の人々が共に担うべき重大な責務です。政治家には誠実な言動が求められ、報道機関のジャーナリストは綿密な取材と正確な報道によって真実を社会に届ける使命があります。

特に昨今のメディアには、政治的な圧力や脅威に屈することなく、虚偽の発言や情報操作を見抜く力が求められています。権力者による歪曲された情報発信に対しても、毅然とした姿勢で真実を追究する必要があります。

学術界においては、研究者、科学者、そして各分野の専門家たちが、確かなデータと実証的な分析に基づいて社会に向けた知見を提供しています。彼らの調査結果や研究成果は、私たちの社会における重要な意思決定や政策形成の土台となるため、その責任は計り知れません。

近年特に注目すべきは、一般市民一人一人が担う役割です。日常的に接する多様な情報源から、信頼性の高い情報を見極め、確かな事実に基づいた内容を周囲と共有していくことが大切です。

デジタル時代において、ソーシャルメディアの普及は情報伝達の在り方を大きく変えました。その一方で、誤情報やフェイクニュースが瞬時に拡散される危険性も高まっています。また、アルゴリズムによって形成されるフィルターバブルは、私たちが接する情報の多様性を制限してしまう可能性があります。

このような課題に対応するために、市民一人一人が情報リテラシーを向上させ、批判的な思考力を磨いていくことが不可欠です。受け取った情報を鵜呑みにせず、複数の信頼できる情報源で確認し、多角的な視点から検証する習慣を身につけることが重要です。、

また、ライシュは市民教育の重要性を繰り返し強調しています。市民教育の刷新を通じて次世代に公共の利益を守る価値を伝え、批判的思考を養い、他者と協力して社会を構築する力を育むべきだと彼は主張します。そのためには、学校の教育だけではなく、社会での経験学習が欠かせないと言います。ボランティアや公的サービスに従事することで、市民としての善を学べ、社会をよりよいものに変えられます。

「コモングッド」とは、みなが共有する誓約の数々のことである。法治への誓約、法の文言のみならずそこに込められた精神をも尊重する、民主的な政府の仕組みを保持する誓約、真実に対する誓約、相違を受け入れる寛容性、政治に対する平等な権利と機会、市民的生活に参画し人々が共有する理想のためならしかるべき犠牲を払おうという誓約。この社会をきちんと機能させたいのなら、こうした「誓約」を人々は共有しなくてはならない。コモングッドは、これらの誓約によって成り立っているのだから、それを果たすことによって、私たちは何が正しく何が間違っているかを判断することができるのだ。そういう折言約なくして、「私たち」は存在し得ない。

著者の主張は、現代の私たちに重要な問いを突きつけています。失われつつある共有された価値観をどのように取り戻すのか。そして、その価値観を基盤とする社会をどのように再構築するのか。この挑戦は決して容易なものではありませんが、思いやりと寛容さ、そして公共の利益を尊重する意識が社会に根付くことで、私たちは健全な民主主義を再生し、未来に希望をもたらすことができると彼は強調しています。

コモングッドの再生は、社会の公平性と正義、さらには私たち自身の幸福をも取り戻す鍵であるのです。

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