ラディカル・アクセプタンス(タラ・ブラック)の書評

woman sitting on sand

ラディカル・アクセプタンス
タラ・ブラック
金剛出版

ラディカル・アクセプタンス(タラ・ブラック)の要約

ラディカル・アクセプタンスとは、苦しみの元となる思い込みから自由になり、自分との戦いを手放す実践です。一人で抱え込まず、人とのつながりの中で安全な居場所を見つけることで、内なる智慧と強さを育んでいくことができます。それは時間のかかる道のりかもしれませんが、この実践を通じて、必ず心の中に光が差し込んでくるはずです。

ラディカル・アクセプタンスとはなにか?

ラディカル・アクセプタンスの練習は自分の人生で負った傷の痛みと恐れを認めることから始まります。そして私たちの思いやりと慈悲の心は無限なのだという気づきに繋がっていきます。自分に思いやりを持つことで、人生をより愛する自由を発見する。これがラディカル・アクセプタンスの恵みなのです。「自分はダメな人間だ」という痛ましい思いから自分を解放するにつれ、自分はこれでよいのだと信じはじめることができるのです。(タラ・ブラック)

人生において私たちが直面する最も深い課題の一つは、自分自身と現実をありのままに受け入れることです。心理学者・マインドフルネス指導者のタラ・ブラックが提唱するラディカル・アクセプタンスは、この受容への道筋を示してくれます。それは単なる諦めや妥協ではなく、深い理解と思いやりに基づいた積極的な受容の姿勢なのです。

私たちは生まれながらにして、他者や世界とつながっている存在です。しかし現代社会において、この本質的なつながりの感覚を見失いがちです。

私たちは時として、自分が誰からも理解されず、価値のない存在だと感じることがあります。この感覚は、生まれつき備わった反応のように深く根付いていることも少なくありません。しかし、こうした思い込みから自由になる力は、実は私たち一人一人の内側に宿っているのです。

「価値がない」という思い込みは、タラ・ブラックが指摘するように、一種のトランス状態と考えることができます。この状態は、霧の中で迷子になったように、本来の自分を見失っている状態を指します。この霧を晴らし、自分自身を取り戻すために必要なのは、2つの重要な実践です。

それが、今この瞬間に注意を向ける「マインドフルネス」と、優しく温かな「思いやり」の心です。 ラディカル・アクセプタンスは、私たちを苦しめているこうした思い込みから解放し、ありのままの自分を受け入れる道を示してくれます。この道は決して一瞬で完結するものではなく、時間をかけて歩む優しいプロセスです。

しかし、自分自身の中にある内なる智慧を信じて進むことで、やがて新しい光を見出すことができるでしょう。 真の受け入れには、2つの柱が存在します。それは、自分の内面で起きていることを明確に観察することと、その体験を慈しみの心で受け止めることです。この2つは、両翼のように互いを支え合いながら、私たちを自由の方向へと導きます。

「マインドフルネス」という言葉は、仏教の教えの中で、今この瞬間に目覚めた意識を向けることを意味します。それは単なる頭の理解ではなく、体験そのものを直接感じ取ることです。 例えば、恐れを感じたとき、その感情を否定したり、押し込めたりする代わりに、注意深く観察してみます。

心の中に渦巻く考え、体の緊張や震え、逃げ出したいという衝動。それらすべてに気づき、変えようとはせず、ただそのままに見つめます。 この観察には、一見すると科学者のような客観的な姿勢が必要に思えますが、冷たさは不要です。むしろ、温かな関心と優しさをもって、自分の体験に寄り添うことが求められます。

例えば、不安を感じたとき、「今、不安が訪れているんだ」と静かに認識することから始めます。胸の締め付ける感覚、速まる鼓動、浅くなる呼吸、そうした身体のサインに優しく目を向けます。その感覚を否定せず、批判せず、ただ「ここにある」と認めることがポイントです。

こうした実践を続けることで、新しい気づきが得られます。感情や思考は固定されたものではなく、波のように現れては消えていくものだということが実感できるようになります。どれほど強い感情に襲われたとしても、それは永続的ではなく、やがて形を変えていくのです。

また、思いやりの心を持って観察することで、自分への批判や否定的な判断から少しずつ自由になっていけます。苦しい感情も、人間として自然な経験の一部として受け入れられるようになるのです。 このような実践は、日常生活の中で少しずつ培っていくことができます。

朝の目覚めの瞬間から、夜眠りにつくまで、様々な機会があります。食事をするとき、歩くとき、誰かと話すとき、そのどの瞬間も気づきの練習の場となります。 時には、強い感情や困難な状況に直面することもあるでしょう。

そんなときこそ、マインドフルネスと思いやりの両方を思い出すことが大切です。明確な観察と慈しみの心、この2つの翼があれば、どんな嵐の中でも飛び続けることができるのです。 このように、マインドフルな観察と思いやりの心は、私たちを真の自由へと導く道しるべとなります。それは決して簡単な道のりではありませんが、一歩一歩の実践を通じて、より深い気づきと平安を見出すことができるのです。

他者とのつながり、慈愛が重要な理由

ラディカル・アクセプタンスは自分を責め、憎む無意識のクセから私たちを解放し、癒し、前進させてくれるのです。

マインドフルネスという実践は、私たちの内なる体験を鮮明に映し出す鏡のような役割を果たします。しかし、その鏡に映る姿を受け止めるためには、もう一つの大切な要素が必要となります。それが思いやりの心なのです。

マインドフルネスだけを実践すると、時として厳しい現実に直面することになります。心の奥底にある痛み、怒りで熱くなる顔、自分は不当な扱いを受けているという被害者意識、そして孤独で愛のない人生を送るのではないかという不安。これらの感情や思考を鮮明に観察することはできても、その体験を抱きしめる温かな腕を持たないのです。

このとき、多くの人は自己批判の罠に陥ってしまいます。「こんな感情を抱くべきではない」「もっと強くならなければ」「なぜいつもこうなのだろう」と、自分を責め立てる声が心の中で大きくなっていきます。そして、この自己批判がさらなる苦しみを生み出す悪循環を作り出してしまうのです。

しかし、思いやりという翼がマインドフルネスと共に働くとき、真の癒しが始まります。それは、自分の弱さや傷つきやすさを優しく包み込む母親のような慈しみの心です。怒りや失望感といった感情も、人間として自然な反応として受け入れることができるようになります。 例えば、深い孤独感を感じているとき、その感覚をただ観察するだけでなく、「このように感じるのは、とても辛いことなのですね」と、自分自身に語りかけることができます。

これは自分の苦しみを正当化することでも、その中に留まり続けることでもありません。むしろ、その経験を優しく認め、抱きしめることで、少しずつ癒しへの道が開かれていくのです。 思いやりの心は、私たちの内なる批判家を静める力を持っています。それは完璧を求める厳しい声を、理解と受容の声へと変えていきます。

「ダメな自分」という物語から、「成長の途上にある、かけがえのない存在」という新しい物語へと視点を移してくれるのです。 このように、マインドフルネスと思いやりは互いに補い合いながら働きます。

マインドフルネスは私たちに明晰な気づきをもたらし、思いやりはその気づきを通じて見えてきた現実を、優しく受け止める力を与えてくれます。両方の翼があってこそ、私たちは真の癒しと成長への飛翔を始めることができるのです。

ラディカル・アクセプタンスへの第一歩は、意識して「間」を取ることを習うこと。

ラディカル・アクセプタンスを始める第一歩は、意識的に「間」を取ることです。「間」とは、活動を一時的に停止し、何かを成し遂げるために突き進むのをやめることを意味します。それは、取り乱しているパイロットが「次に何をすればいいのか」と慌てて考えるのを止めるような行為です。

この「間」は、ほとんどの活動中に取ることができ、短い瞬間だけのものから数時間、さらには人生の節目の期間にわたることもあります。

例えば、今行っていることを中断して座り、瞑想をする時間を持つのも良い方法です。また、瞑想中にふと考え事に囚われている自分に気づいたら、意識を再び呼吸に戻すことができます。

こうした「間」を持つことは、瞬間的に反応する習慣を手放し、自分の体と心の声に耳を傾けるきっかけとなります。

その結果、より落ち着いて賢明な選択をすることが可能になるのです。 人生の中で痛みそのものを避けることはできませんが、その痛みへの向き合い方を選ぶことはできます。「間」を取ることで、自分自身と向き合い、反応を超えた行動ができるようになるのです。

私たちは誰しも、時として深い孤独や恐れに襲われることがあります。そんなとき、すべてを一人で抱え込もうとせず、誰かとつながることで安全な居場所を見つけることができます。これこそが、ありのままの自分を受け入れていくラディカル・アクセプタンスの始まりなのです。

私たちの心の中には、様々な先入観や判断による壁が築かれています。しかし、それらの壁を少しずつ取り除いていくことで、人生をより豊かに感じられるようになります。そのためには、まず自分が安心できる場所を見つけることが大切です。信頼できる人々との関係を育むことで、私たちは恐れを乗り越え、成長していくことができるのです。

時に私たちは、大きな不安や恐怖に押しつぶされそうになります。そんなとき、誰かに助けを求めることは、決して恥ずかしいことではありません。むしろ、それは自分を大切にする賢明な選択といえるでしょう。

強い恐れに直面したとき、私たちは自分がもっと大きな何かとつながっていることを思い出すことができます。それは、家族かもしれません。親友との絆かもしれません。または、同じような気持ちを分かち合える仲間たちかもしれません。

このようなつながりは、嵐の中の避難所のように、私たちを守ってくれます。 例えば、信頼できる友だちに本当の気持ちを話すとき、私たちの心は少しずつ開いていきます。その友だちがただ静かに耳を傾けてくれるだけでも、大きな安心感が生まれます。

「つらかったね」「その気持ち、わかるよ」という優しい言葉は、心を温かく包んでくれるのです。 このように、外の世界に安全な場所があることで、私たちは徐々に自分の内側にも安らぎの場所を見つけられるようになります。

それはまるで、外からの温かい光が、内側の平安の種を育てていくようなものです。最初は小さな気づきでも、それは次第に、揺るぎない内なる強さへと育っていくのです。

ブラック博士は、私たちを脅かすものの中にこそ、実は深い癒しの可能性が秘められていると説きます。痛みを通じて、より深い理解と成長への扉が開かれるのです。 真の自由は、私たちが設けた心理的な境界を溶かしていくことで得られます。

最も重要なのは、自分自身と他者への絶え間ない思いやりの実践です。深い気づきと理解に基づいた親切さは、人間関係を癒し、深めていく力となります。私たちは皆、愛と幸せを求める存在であり、その認識が相互理解と許しの基盤となるのです。

このように、ラディカル・アクセプタンスは単なる技法ではなく、より豊かで意味のある人生への道筋を示してくれます。それは私たちが本来持っている癒しと成長の力を信頼し、育んでいく旅なのです。

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この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

■インバウンド、海外進出のEwilジャパン取締役COO
みらいチャレンジ ファウンダー
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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